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2011年8月12日 (金)

映画感想『アンフェアthe answer』

完璧に「ネタバレ」してますから、本編を観るひとは読まないほうがよろしい。
チラシには、俳優より小さく、脚本・監督:佐藤嗣麻子とある。しかし、いまこの監督は映像感覚と、ストーリーテラーとして、他のいかなるoriginalの追随も許さない才覚と力量の持ち主だ。ただ、それが災いする。この作品においても、その力業はハリウッド映画に勝るとも劣らない。しかし、これは日本版ハリウッド映画でしかナイのだ。エンターティンメントとしての面白さは同列なのだ。同列だから、かつて観たハリウッド映画を日本映画にリメイクしてみせられているような気になる。この映画でもテーマは、巨悪だ。政治的にか、社会的にか、腐敗した権力機構だ。しかし、それはもうずいぶんとすでに、多くの映画でヤラレタものだ。主人公雪平刑事と元元旦那以外は、たいていが敵というオチになる、そのたたみこみは抜群の切れ味のあるシナリオなのだが、残念ながらこれはもうハナからみえている。何の驚きもナイ。驚かせているというのは監督の錯誤に過ぎない。私たちがほんとうに観たいのは、彼らが何故、巨悪の犬であるのかだ。そこに突っ込んでいかないと、もうこの手の映画は古いとしかいいようがナイ。サイコ・キラーの登場も、何度アメリカ映画でみせられたことか。男性の描き方がステロタイプなのは、監督が女性であるからなのではなく、単に男性というものに無知なだけだ。それは私が女性に無知なのとまったく同じことだ。せりふの甘さも、いまの観客には、この程度が楽でいいのかも知れないが、私は頭を抱え込む。こういうウソのせりふはイケナイ。みな映画用、ドラマ用のせりふだ。ストーリーやプロットにおける格闘があっても、このシナリオは、せりふにあまりに無神経だ。それが、せっかくの物語を安っぽくさせている。せりふ対せりふの緊迫がまったくナイのだ。演劇の戯曲においては致命的な欠陥になる。せりふは、ストーリーを運ぶ道具ではナイ。この映画の原作は読むに耐えないシロモノだが、よくぞ、その原作を、ここまでテレビ→映画と持ってきたと感心する。それは、シナリオライターとしての佐藤監督あってこそだった。篠原涼子の衰えをメイキャップでカバーするくらいなら彼女に、せりふを与えよ。

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