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2011年8月 9日 (火)

貸したものは返してもらう

また、やっちまったかという、苦いバッティングで、昨日は伊丹の塾(普通コース)だったのだが、SLOFTに休みを伝えていなかった失策で、SLOFTの連中にはえらく心配をかけてしまった。倒れているのではないかと、部屋まで探索しに来てくれたというから、ほんとうに申し訳ナイことをした。
昨日の想流私塾は、『夕べに死す』(58分)の鑑賞(これも、avecビーズにひとこと、ことわらねばならなかったなと、アトから気がつくのだから、始末が悪い。申し訳ない)をして、役者というのは、ここまでヤルんだから、劇作家であるきみたちが楽をしてはイカンと、倫理。それから戯曲の上でやってはイケナイことを二つ。「思ってもいないことを書くな」「ワカラナイことを書くな(ただし、間違っていても、自分なりにワカッテいるというところでなら例外)」と、倫理。前者はウソだからだ。戯曲というのは、けして「作り話」ではナイ。粉骨砕身、身斬りだ。「斬れば血が出るような」ホンを書かねばならない。書いたコトバはすべて、己れに還って来るものなのだ。
にしても、『夕べに死す』の役者連中は、みな、ふーん、上手いじゃないかと、いまになってディスク・ビデオを観ながら思うのだった。こんなのが創れたのだから、私は、もうヤルことはヤッちゃったなとも。来年には新作がやれそうだから、当方もそれなりに、ホンを書く。もう、ナニを書いても、出来るだろう。

伊沢勉が、また『審判』をやるそうで、この恩知らずの礼も義もナイ野郎は、私が、いちいち『審判』をやるに際して、演出作業は面倒だから、「勝手に演んなさい」といったのをいいことに、勝手に演るのだが、私の名前を「演出」と出していながら、ひとことの報告も挨拶もナイ。今度も人伝てに聞いて、へーえ、そうなのかいと驚いただけだ。前述したように私もウッカリ派だから、大きなことはいえないが、不愉快極まりない。「勝手にやるんだから、勝手にやってイイが、私の名前は今後、演出から外すこと」そういうのを勝手にやるというのだ。私の名前を演出と入れるのを常識と考えてのことだろうが、そういう場合は、勝手にやるが、そうしてもいいのか、相談くらいしに来なさい。それを常識というのだ(きみには常識も通用しないだろうけど。きみは、度重なる、きみへの助成に対して、一度も私へ「ありがとう」の一言をいったことすらナイ。恩義に悖るとはこのことだ)
演出といえば、私の作品を自分の勤める某タレント事務所で上演するに際して、私の演出を無断でそっくりコピーして、演出を伊沢勉とすることに平然であったのは、厚顔無恥以外ナニモノでもナイ(きんばらなんか憤懣やるかたナシだったぞ)。おまけに、某新聞社の文化サロンで戯曲を教える教科書に、私の書籍をこれも無断で使ったことなどや、当時の劇団員のマスコミマネージメントを「勝手に」(こういうことは勝手にしてはイケナイ)すすめて、危うく私の管轄する劇団員をマネージメントされそうだったことや、劇団に戯曲を書くようになってからは、劇団員にハラスメント行為があったことや(いうことをきかないと次の作品に出してやんないとかだ)、貴君の勤めるタレント養成所に、不法な誘い(うちに来ないと他にも行けないようにするぞ、だ。これには、私のところに抗議、忠告が来ている)をしたり、など、いままで大目にみてやったのは、きみの無知蒙昧による行為として許容してだけではナイ。貸しはいいときに返してもらおうと考えていたからだ。私も先のみえる年齢になってきた。そろそろ容赦はしない。適宜、貸しは返してもらうので、そのつもりで。私は、みかけほど、ココロの広い紳士ではナイ。覚悟だけはしていてもらいたい。

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