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2011年8月10日 (水)

SLOFT通信・9

一昨日は私のミスで、稽古が流れたので、昨日はサービスに、都市伝説「山小屋の怪談」の謎解きをしてみせる。ちょうど出演者も4人。そのアト、この解き方の位相幾何学(トポロジー)というものが、どういうふうに演劇現場で活用出来るかをレクチャー。
そのアトは、読み合わせ。基礎、基本をしっかりやったので土台が出来ているから、すらすら進む。女3も、すぐに追いついた。これで、読み合わせは終了。今日からは立ち稽古になる。私は新しい南蛮渡来の学問など何も教えていない。私が学んできたことだけを、教えているだけだ。その方針は、戯曲の塾(想流私塾)とまったく変わらない。
さて、女3。追いついたといえ、一週間遅れての参加だから仕方がナイ。読み合わせ途中で、ちょいとstop。演出家が演技者に対して「それはチガウ」という場合、(確かに女3はチガウんだけど)、いったいチガウというのはどういうことをいっているのか、と、他の演技者に問いかける。女3の役づくりだろうか→役など重要なものではナイ、と否定して教えてある。イメージだろうか→イメージなど漠然として、頼りにならない。演出家と演技者のイメージのチガイも同様のことだ。おまけにイメージどころか女3は、そこに実体として存在するのだから、イメージなど何をどうしたって、実体には叶わない。これを素材は表現に優先すると教えた。ここはアリストテレス哲学の部分だ。このあたりは、感性で処理してはならない。演出家は間違っても「俺の感性とチガウんだ」などとのたまってはイケナイ。そんなものは、演出家の言語限界を露呈しているだけだ(ヴィトゲンシュタイン前期ふうにいえばね)。そこで、女3のその読み方(語り方)は「女3という演技者に似合わない」のではないか、という暫定的な答を一応出してみる。実体とのズレを問題にしてみる。しかし、これも感性に依る。そこで、では「よく似合う」というのは何を根拠にしていっているのかと、論理をもう一歩踏み込んでみる。これは例で考えると、今度こそイメージが鮮明になる。とある反物を扱う大店の店先。反物がある、時代劇によく出てくるシーン。「よくお似合いですよ」と、商人が勧める。この「よくお似合い」というのは、どういうことをいっているのか。それを着るひとが「美しくみえる」「粋にみえる」「可愛くみえる」と「・・・にみえる」いうことではナイのか。ここまで、論理を詰めていけば、ここからは演劇という美学の問題だ。もう感性に飛んでもイイ。女3はどうみえればいいのか。これが手続きというものだ。
女3が稽古終わりにいう。「私は想さんの戯曲は、読むのが楽しいんです」。プロデューサーの小林が、女3が去ってから「読むのに辛い戯曲なんて芝居にしてどうすんだろね」とうそぶく。そういえば、4人の選に漏れた女優が「私はラストシーンのこのせりふが読みたくて語りたくてたまらなかった」と、切々というたもんや。新進の劇作家諸君、数多の若手劇作家諸氏、そういうホンを書いてみたら、どうだ。私は唐十郎さんの戯曲を読むのがすきだったし、佐藤信さんの戯曲の出だしなんて、声に出して何度も独り言いってるぞ。「然りといえども、外は雪だ」(『キネマと怪人』)だったか。
流山児が大本営発表(彼のブログ)で、岸田國士を読んで「このヘンタイ」といってるが、さすがに、彼らしい読み方だ。岸田→中井英夫→寺山修司と、山脈は連なっているからだ。

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