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2011年8月20日 (土)

演出について

演出家それ自体は表現者ではナイ。よって演出それ自体も表現ではナイ。これを勘違いしていというか、演出というものが何なのかを知らない演出家が山のようにいるから、演劇全般がその悪しき影響のもと、旧態依然にして進歩ナシという情況なのだ。
簡単にいってみると、ここに役者(演技者)がひとりいる。彼(彼女)は語り、動き、踊り、歌い、と、表現することが出来る。では、ここに演出家がひとりいる。彼(彼女)にいったい何が出来るのか。何も出来やしない。そういうことだ。演出家自らが動き、語りと、そういうことをするのなら、それは役者であって演出家ではナイ。演出家は同時に役者をやることは出来ない。たとえ、舞台の上に演出家が立とうとも、演出家か役者か、何れかのカテゴリーに入らねばならない。これも、簡単にいうとこういうことだ。いまあるレストランのコックさんがいる。彼はコックであると同時にその店の客になることは出来ない。しかし、他店に出かければ立派な客だ。客である以上、その店のコックになるということは出来ない。私はこの命題をマルクスの『資本論』の「貨幣」から導いた。私は資本論全てを読んだワケではナイが、「貨幣」のところだけは、貨幣というのが何なのか知りたくて読んだ。この中の価値のカテゴリー、「相対的価値形態」と「等価形態」から、演出とは何かをブログに書いたし、日本演出者協会の編集のなんだったか、書籍にもかなり割愛してだが書いた。そこでの発見は「演出とは交換価値」だということだ。この「交換価値」を「貨幣」にしても差し支えない。
演出家が演技者に対して、「右に一歩進んでください」と演出する。演技者はその通りに表現する。ここで、演技者の価値と演出の価値が「交換」されることになる。この交換されたものが、演出家の表現というものだ。つまり、演出の価値は、何かと交換しなければ成立しない。コトバを換えれば、演出家の表現というのは、何かと交換された表現だということになる。
おそらく、それがワカッテいる演出者というのは、日本にほんの数人しかいないだろう。アトは、演出家の椅子に踏ん反り返って、役者を叱り飛ばすか、帰りに口説くかしているのだ。私は劇作家だが、演出家ではナイ。自分の作品は演出するが、他人の作品を演出したのは、たったの4曲だけだ。で、やってみて、成功した例はナイ。演出家にならないで良かったと思っている。

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