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2011年8月 2日 (火)

SLOFT通信・7

昨日、女3役の加藤が合流。これで出演者はとりあえず揃う。女3の登場シーンからの読み合わせをやってみる。いや、驚きましたね。加藤には悪いが、他の3人との差が甚だしい。つまり、他の3人は「上達」してんですよ。加藤に対しては、演出と演技指導としての思惑もあるので、簡単に、これまでのレクチャーのおさらいしておくに留めた。
稽古終わって、今枝が質問を持ってくる。「不安というものではナイが、五日間の休みのあいだ、これまで通り、音調と口調、句読点に注意して読むという練習を長ぜりふも、短いせりふも同様にやっていけばいいでしょうか」それでいいですよと、答える。何も間違っていませんと答える。途中で加藤が、さらに他の二人も集まって話を聞きに来る。みなさん、演技論に興味津々なのだ。小林たかあきの報告にると、出演者たちのお嬢さんたちはメールのやりとりをしていて、稽古がとても楽しいといいあってるそうで、もっとシメつけましょう、なんていう。
加藤は、せりふに抑揚が入る。感性だけで読んでいるからだ。その感性は、オフィーリアをチャキチャキのスットントンのちょっとバカcharacterに書いたところから来る。で、役は問題視しないようにと、以前、他の連中にした注意と、「美人だと思い込んでやんなさい」と変な指導をして、読んでもらう。この辺りは矛盾しているようで難しいところ。おバカcharacterで「正しく」読もうとすると、役で、でなくとも、書いてある通りに、そういうふうに読まざるを得ないというふうになる。これが感性だけで芝居(演技)をしてきた演技者の勘違いなのだ。そこんところが、まだワカッテいない。ボケがボケ顔で登場するより、美人が天然ボケしているほうがオモシロイじゃないか。実家の母親が大真面目にサプリの「アホエン」を「ボケエン」ということが、ほんとうのオモシロさなのだ。最後のほぼ1ページに渡る、加藤の長ぜりふを、彼女は、感情を排して読んだ。一本調子に聞こえるが、それでも、書いてあることが劇的なので、ちゃんとそう伝わるのだ。
演劇はスポーツや格闘技と違って、上達の様子を、数値の記録であらわすことが出来ないシロモノだ。100mをcomma5秒縮めたとか、勝てなかった相手にやっと勝てるようになったとか、囲碁、将棋のように段位があるとか、そういうものがナイ。上達したというのは、ある日、ほんとうに、アッとか、パッとか、気付く類のものなのだ。これは、ルネ・トムの「カタストロフィの理論」だ。あまり良くない譬えだが、地震と同じだ。いつ来るかワカラナイ。しかし、確実にやって来る。

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