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2011年8月31日 (水)

SLOFT通信・22

演技者は不安を抱える。どれも誰も似たような不安だ。女2に稽古終了後、三つ質問を受ける。「後半の演技のテンポが悪いような気がする」「女3との最初のシーンでコンビネーションがぎこちない気がする」「・・・」三つめは忘れた。画家や作家ならば、目の前に作品があるので、これを観ながら修正なり、ナオシが出来る。演技者の場合は、自分自身が作品で(も)あるが、これは自分で観ることが出来ない。これが不安の要因だ。もちろん、演出家の要求(要望)がワカラナイという不安(これは不信に近い)をもつ演技者もあるだろうが、SLOFTでは、未だそういうのは聞かない。ああ、思い出した、三つめはこうだ。「決められた導線以外を動くとき、不安定な気がする」だ。要するに「気がする」のだ。三つとも納得がいくように(せめて理解できるように)答える。
女3に通し稽古前に、長ぜりふについて指導する。難しいコトバは使わない。感情は主に外に向かうだけだから(例・バカッ、何なのよッ、私の何処が悪いのよッ、いつか殺してやるッ)感情にのせたせりふを使わないこと(使っても不快なだけだ)。心情は内に向かうが(例・私の気持ちがどうして伝わらないのかしら、なんて可愛い猫だろう、これからどうやって生きていこう)。内に向かうものを外に向けねばならないという矛盾が、演劇であって、それを演じるのが演技だということ。この心情に向きと力(ベクトル)を与える。まず、観客に向けた心情を自らにもどすこと。一旦、観客を通して、それを内に(自分に)もどすこと。この「自分にもどす」というイメージと「自分にもどってきている」という実感がタイセツなのだ。この辺りはヘーゲル哲学なのだが、そういうコトバは使わない。
さらに、昨日指示した演出どおりに、ある行為を長丁場で続けてもらう。女4と女2の長ぜりふのシーンだ。このとき、女4にも、それに対応する演出を指導する。
「演出家、みんな集めてダメを出し」というコトバがあるが、私ゃ、稽古終了後にそういうのはやんない。通し稽古をしている最中に、それぞれの傍に行って、指示を出す。私はどっかとデdirector chairに座ってる、エライひとではナイからな。終わってからも、それぞれに小声で、あすこはこうしてネ子猫ちゃん、と、指示を出す。
ともかくも、一週間遅れの女3に演出はつけおえた。これで、スタートラインに並ぶことが出来る。今日は歌の稽古。明日はゲストのお姉様がやって来る。

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