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2011年8月16日 (火)

SLOFT通信・14

昨日も一昨日のつづき、ノノヤマが来てくれたので、音楽との合わせ稽古。アトは細かい部分の演出。ここはチガウなと思っても、解決案のナイものは、急がないで置いておく。こっちだって神様ではナイ。すぐに適当なことでお茶を濁しても仕方ない。私もムズムズしているところは多々あるのだが、少しずつ少しずつネ。今日は殺陣が入るはずだから、それでちょいと様子を観る。杉本センセイが来るのだが、女1には手を焼きそう。とはいえ、そういうのをナンとでもしちゃうのがプロ。杉本さんは、その辺が実に上手い。また、殺陣をつけているときの顔つきが、日頃の温和なオッサンからガラリと変わったキビシイ形相となる。殺陣は事故が多いから、緊迫感がみなぎるんだな。女1はおっとりしているのだが、そのおっとりを「押っ取り刀」にするのが殺陣なんだろうな。
これから、いわゆる[劇的]なものへと演出は徐々に変わっていく。ここまでは抑制(control)を利かせるための、単純な感性によるお芝居的抑揚を排斥する作業。ここからは「劇」を演じる作業に入る。これをやるのとやらないのとでは、劇の緊張感がチガウ。
女4に対して指導。彼女は話術がいいので、どうしても、話術に頼る。これは声のいい者が声に頼るのと同じ。ところで、この女4の話術は、女4のカラダまで届いていない。女4のカラダがゆるいのはそのためだ。そこで、カラダに緊張感を持たせることにする。この場合に用いる矯正はココロの緊張をいう。断っておくが、日常における身体、心、言葉と、演劇におけるカラダ、ココロ、コトバとは、類を異なうものだ。この辺りを多くの演劇に携わる若い諸君はおそらく誤解している。一方を等価形態とすれば、一方は相対的価値形態としなければならない。同じ「コップ」でも、同時にその両方に位置することは出来ない。換言すれば、一方が「現実」なら一方は「虚構」ということも出来る。ある一つの概念が現実でもあり虚構でもあるということは出来ない。
女2のサングラス場合にも書いたが、ココロに緊張感を持たせよと指導した場合、演出家は、そのココロが何処に在るのかをいえなくてはならない。単に意識やイメージや感性では演技者と演出家とでは固有するものが異なるので、意味がナイ。私の場合は、呼吸器(と、その呼吸)を指す。吸って吐く、この呼吸に意識を向ける。日常では何気ないことなのだが、吸って吐くことを意識下に置くことで、カラダに緊張感を与える。この緊張感は、油断の除去だ。どこから斬りかかられてもいいようにする構えだ。「息を飲む」「息を殺す」「息を凝らす」「息を抜く」「息詰まる」「息を潜める」・・・およそココロの動きは呼吸器に現れる。逆にいえば、呼吸器の動きでココロを制す。ここは、進化論的に、魚類が鰓呼吸から、両生類に、さらに肺呼吸の爬虫類になって、水中から陸上へと進んだ、生物史上、もっとも苦しい層に該っている。母体の胎児も、その辺りを胎内で経過するときに心を芽生えさせる。

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