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2011年8月12日 (金)

補足

「導線」と「立ち位置」を決めることを新劇などでは「交通整理」といって蔑む風潮が残っている。「あの演出家は交通整理しか出来ない」てなこといってバカにするのだ。私は実際、ある有名な演出家からそのコトバを直截聞いたこともある。しかし、「立ち位置」というのは、何を中心にして、どういうふうに近傍をとっていくかという、これも位相幾何学(トポロジー)で、「導線」はそういうふうに数学的に表現するなら、微分方程式ということになる。舞台全体との接線を考えているからだ。
ずっとチームを組んでいる音響・作曲家は、元々は画家だったが、彼にいわせると、私の舞台構図は「これしかナイ」というくらい厳密だそうだ。威張っておく。
「あそこの芝居を観ると、自分の演技が否定されているようで、それで観ないの」という女優のコトバも聞いたことがある。彼、彼女らはいうそうだ。「何で動かないの」。
演出を表現であると勘違いしている演出家は、その舞台(作品)をあたかも自身の表現であるかのように錯覚する。もし、演出家の権力というものが発生するとすれば、この座標からしかナイ。演出というのは、商品でたとえると貨幣のようなものだ。その辺りの演出論はこのブログの『貨幣と演劇』に展開されている。演出家は、演技者や他のスタッフと価値を交換することが出来る。演出家の表現というのはこれに該る。これは、他の演技者やスタッフには原則的に許されていない。つまり、演出家の持つ権利だ。これをあえて物象化というふうに理解する。本来、「物象化」を定義すれば、人と人との関係が商品と商品との関係として現れることをいう(『資本論』・マルクス)。演劇においては、この人と人との関係が、表現と表現との関係として現れる。この表現と表現の価値を交換出来るのが演出家だということだ。
ものすごくくだいていうと演出家は演技者に「きみの演技は100円だな。せめて500円にしてくれないと売れないな」ということが出来る。そこで、演出家と演技者が550円まで演技を創り上げたとする。演出家がこれを400円で観客に売れば、150円の利益が生ずる。50円を演技者に支払うと、100円の余剰が出る。この余剰価値が、演出家の表現と称される。経済学的にいえばそういうことになる。

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