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2011年7月19日 (火)

黄昏に還る

なんかねえ、またやっちゃったかなって、まあ、反省みたいなことはしてんですがね。白水社が、月1で『出版ダイジェスト』ての送ってくれるのよ。送ってくれるから、一応読みます。律儀なんです。で、55回岸田賞、松井周、知らんですよ。ここ10年、岸田賞を誰が受賞してんのか知らんです。当然松井周さん、知りません。ところがタイトルがですね、[「虚構」と「現実」の世界で]でやんしょ。読んじゃいますよねえ。で、四段あるうちの二段目途中で、あれえ、こいつ、いやこのひと、何だか青年団みたいなこといってる、アトでネットで履歴を検索しようっと、思ったら、末尾に略歴があって、何だ、やっぱり青年団か。青年団を仇(敵)にしてるワケじゃナイですよ。ただね、書かれてあることが、生理的にダメなの。それと、もっともらしいんだけど、この理論はダメだってことくらいはワカルの。どういうワケだか知らないですけどね、青年団ってのはやってる芝居が日常的(現代口語演劇)situationだからなのか、日常ってのは(現実てのは)あんなふうなんだと「摺り合わせ」が出来てんのかな。
私は唐さんの「特権的肉体論」の赤テント育ちですから、日本における近代演劇が西洋演劇の輸入と翻訳にウェイトを置いて始まったものかどうか、そんなこたあどうでもいいと思っている人種だし、つまり、河原ものから歌舞伎への水脈がアジア的な演劇としていまなお続いているとかんがえているほうだしね、戯曲の創作が西洋的な論理に則って行われてきたなんてことは考えたこともナイの。日本演劇が、日本語を離れた無理のある文体、口調と論理構成によって行われ、またそれにリアリティを持たせるための俳優の演技も歪んだ形になっていった、といわれてもですね、唐さんの文体というのは、まさにそれだからね。けどね、最盛期の唐さんの戯曲は、まさにシェイクスピアなんですよ。私は、継承したいと思ってます。私なりのシェーマ(スキームともいう、枠組みとか、括りという意味、似たものにcodeがある。こちらは、コンピュータ用語で、情報の記号化、砕いていえば、ある分類における規約や法則)でですけどね。いま、演劇の業界にいないのは「特権的肉体」(これは肉体的特権ではナイ。いわば舞台に降り立つことの出来る、特権を有した肉体、リアリティもへったくれもナイ、歪んだ肉体でもいいの)。唐さん、いってますね。演劇の極意は「懐手してひとを斬る」ことだって。そういう役者(演技者)創りたいですねえ、SLOFTでは。

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