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2011年7月 1日 (金)

恋愛的演劇論・23(改稿)

「三寸の舌頭、禍門(かもん)を開く、河沙(がしゃ)の諸仏、転(うた)た多言」(『狂雲集』一休宗純・・・口語訳は省く。漢字が読めればだいたい、ワカルでしょ)という徒労感もナイではナイが、自らに鞭打って、つづきのココロだ。
当初は受講者の緊張をとるべくゲームだったものが、次第にその目的を「イメージを共有する」ということへと向かっていく過程は、テキヤの「大ジメ」(大勢の客たちを遠巻きにさせてタンカバイという売り方をするもの)にみられる順序の構造というものと似たようなものだ。(「大ジメ」の場合、最初は沖縄のハブの鳴き声を聞かせるというところから始めて、結局、そういうことはやんない)殆ど同じといってもマチガイではナイ。
~~ここでまず私は「世の中にはイメージの共有しやすいものと、しにくいものがある」と解説します。~~(同)
あたりまえのことで、「なるほど」と頷くような言辞ではナイ。それを「解説」するというのだから、これは前述に呼応してたとえるなら、テキヤの「大ジメ」における位相の構造といえる(ハブの鳴き声が、さまざまな話題に移って、客たちをハブの興味からずらしてしまうこと)。そこで今度は「架空の縄跳び」が始まる。これは「イメージの共有がしやすい」ほうの例だ。その理由として、オリザ氏はこう「解説」する。まず、縄跳びはキャッチボールに比べて動きが単純なこと。経験に男女差や地域差がないこと。そうして重要なのが、~~縄跳びに引っかかると「痛い」とか、笑われると「恥ずかしい」といった感情や記憶を、やっている側も見ている側も、すでに共有している点です~~(同)
さらにこの「解説」はこう結ばれる。
~~結果としてそこに本当はない縄でも見えるようになるのです。これが、演劇を支えているメカニズムです。私たち演出家は、このメカニズムを駆使して、虚構を本物らしく見せるのです~~(同)
私は本職は演出家ではナイが、自身の戯曲の演出はする。だから、演出を本業としている者なら、ここで、この本を閉じるのではナイかと危惧するほどの「解説」だということは私でもワカル。「本当にはないものがみえるようになるメカニズム」を駆使して、「虚構をほんものらしくみせる」のが演出家の仕事のように語られているからだ。そうすると、ここでは架空の縄をどうみせるかが演出ということになる。それは、そういう演出家もいるかも知れない。オリザ氏自身がそういう演出家ならばだ。しかしここは「比喩」か「想像力」のことをいいたいのだなと良心的に読み取っておく。ところで、やってみれば(経験してみれば)ワカルことだが、「縄跳び」は「キャッチボール」ほど簡単ではナイ。さらにいうならば、イメージの「共有」の難易度が、この二つのゲームで如何程のものかの「解説」はこれ以上行われない。ほんとうなら、ここではこう「解説」されるべきだ。「イメージの共有」という「虚構」においては、「縄跳び」は「キャッチボール」より簡単である、と。「現実」と「虚構」においては、その認識(「イメージの共有」)の難易度で差のつくものがある。たとえば、最も単純な命題を例示してみる。「AはAである」。これをイメージする。論理学ではこれを「自同律」といい、哲学では「同一性」という。「同一性」とは、マーケットにあるバナナも果物屋にあるバナナも「バナナ」としては「同一」だということを示している。さらに台湾バナナもタイ産のバナナもフィリピンのバナナも「バナナ」として「同一性」を示している。もし、「好きな果物」といわれて、子供たちのあいだに例の相談が始まった場合、指導者が訊ねたとしよう。「何を相談しているんだい」子供たちが答える「バナナは好きなんだけど、僕は台湾バナナは美味しいと思うんだけど、フィリピン産は天然ものが多くて、あまり好きじゃナイ」「いや、何でも天然のモノがイイんだ。果樹園で人工的につくられたのは、ちょっと」。これは同一性が崩れたのではナイ。イメージの難易度が同一性の中でアップしたことを示している。ん、・・・たかが、ワークショップのゲームじゃないですか、どうしてそこまで執拗なんですか・・・ごもっとも。だが、これはイメージの難易度としては重要なことだ。バナナはまずイチゴやメロンと「区別」される。次に産地によって「差異」化され、「対立」(生産手段-- 表現手段)へと進んでいく。私たちはワークショップの「仲間を集める」「イメージを共有する」といったゲームを、安易に許容してスルーするワケにはいかないのだ。

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