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2011年7月22日 (金)

映画評・『一枚のハガキ』

没し者生き残る者分かつのをついに籤運『一枚のハガキ』
演技とは虚構にあらず天分と謳うがごとく大竹しのぶは

新藤兼人監督99歳です。『一枚のハガキ』れっきとした反戦映画です。しかし、戦没者は「運が悪かったのだ」といっているふうにも観ることが出来ます。100人のうち94人の兵士が死に、終戦、生き残った6人のうちの一人、松山(豊川悦史)は、戦死した戦友の妻、森川トモコ(大竹しのぶ)にその妻が戦友に充てて出したハガキを届けに行きます。ストーリーは始まった当初からもうみえています。脚本もざっとせりふを書いただけのようで、特に工夫はありません。転換(カタストロフ)があるのは、ラスト近くのワンプロットだけです。それもとくにどうしたというものではありません。
もし、新藤兼人という監督の名前を公表しなかったら、これは20代の才能のある感性豊かな監督が撮ったものと思ってしまうでしょう。そういう拙さまでを演出しています。
ほんとうは「運が悪かったのだ」といっているのではありません。そうとしか、怨嗟の持っていきようがナイのが戦争だといっているのです。
二人芝居で宮城、仙台に行ったとき、いたるところに「がんばろう東北」「がんばろう東日本」という貼り紙がありました。私はそれをみて「運が悪かったな東北」「運が悪かったな東日本」と書き直したくなりました。不埒にも。何だかワカラナイ憤りを感じたからです。映画はのっけから、笑ってしまうのです。ギャグとかコントの類ではありません。農家が出征兵士を送り出すシーンが遠くから全景撮影されているだけです。それが、意味もなく可笑しいのです。戦争は悲劇などではナイ、無意味な喜劇だ、とでもいっているようです。新藤兼人監督の作品は幾つか観ましたが、私にはこれが最高傑作のように思えました。99歳にして、この若々しい感性、開かれた、風通しのイイ技法には、ただただ驚愕するばかりです。大竹しのぶさんは「上手い」というより「凄い」としかいいようはありません。私は、大竹しのぶさんのことを、この映画で始めて美人だと思いました。

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