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2011年6月25日 (土)

恋愛的演劇論・17(改稿)

「経験」に対するカントの部分がねえ、そうよ、難しいのよねえ。という声もありそうなので、少々ヤバイ例えだが、「先験的」なものと「経験」をいまふうにこう応えておく。目の前にパソコンがある。パソコンのliteracy(リテラシー・機能、能力)はアルゴリズム(algorithm・ごく簡単に定義すれば計算能力)だ。このアルゴリズムをコントロールするのがプログラム(program・ここでは、命令の順序)だ。ところで、この能力、機能は、パソコンがその「経験」によって会得したものではナイのはいうまでもナイことだ。また、今後そのパソコンが、何かの「経験」に因って、より高次の機能を持つということは有り得ない。ハードディスクのバイト容量(gigaとか、いうあれね)やbit数(基本的二進数・8bit、16bit、32bitとかいうあれ、ね)が増えない限り、パソコンのアルゴリズムリテラシーは向上しない。外から「更新」しなければ、自らを更新していくということはナイ。つまりパソコンの能力は「先験的」なものと似ている。しかし、パソコンは、人間の脳と同じではナイ。人間の脳の模倣だ。そこで、もう一つ例をあげる。一匹の小犬がいるとする。その犬が「好き」であるか「嫌い」であるかは、「経験」からくるものではナイ。(噛まれたから嫌いになったとかは別にしてね)これはそのひとの持つ感性の問題だ。哲学的にはこれを「直感」という。「直感・感性」は「先験的」なものだ。沸騰した鍋を触って、沸騰した鍋は素手で触ると熱いと学習するようなものではナイ。その学習作用は、「悟性」であり「経験」と称して差し支えナイ。犬の場合、その犬をそのまま「好き」の部類入れるか「嫌い」の部類に入れるかの振り分けを[私が考えて]する作用も「悟性」という。パソコンでいえば、データをどのファイルに入れるかは、パソコンに命令さへすれば(マウスをクリックして、アイコンを選べば)、アトはパソコンが処理する。これがおおまかにいうと「認識論」というものなのだ。(ちょっと比喩がヤバイのは覚悟して)
さて、本論にもどる。
~~私たちは、日常生活の中でも、時間や場所に応じて、服を着飾ったり、化粧をしたり、また言葉遣いを変えたりして、自分を「演出」します。(中略)こう書くと、「でも、それは、演出ではなくて、『演技』でしょう」と考える人が多いと思います。たしかに、俳優は自分自身を演出し演技をします。ですから、この二つの境界は曖昧です。(中略)実はそこら辺のところを、本書を通じて私は考えていきたいと思っているのです。なぜなら、いままで書かれた演劇論、演出論では、その理論が俳優自身の演技のためのものなのか、あるいは演出家が、自分の好きなように俳優を動かすためのものなのか、そこのところが明瞭でなかったと私自身が感じているからです。そして、この点が古今東西の「演出論」を分かりにくくしている原因ではないかと、私は考えてきました。~~(同)
この着眼点が、どうもむず痒くてしっくりしないのは、論理の位相の構造が錯綜しているからだ。つまり、最初[日常の演出、演技]として捉えられたものが、一足飛びに[演じられる劇の俳優の演技と演出]に近傍され、あたかも普遍的な視線に着地したかのように「演出と演技の境界は曖昧だ」と結論づけられているからだ。
私たちの考えでは、演出と演技の境界は、明確に分けようとすれば、明確に分けられるものだし、曖昧でイイのならそれでも構わない。古今東西の「演出論」をワカリニククしているのは、「その理論が俳優自身の演技のためのものなのか、あるいは演出家が、自分の好きなように俳優を動かすためのものなのか、そこのところが明瞭でなかった」からではなく、「演じられた劇」としての演劇と、「書かれた劇」としての戯曲との「区別」と、それを架橋するものが何なのかを、演出家も俳優も論理的に理解し得なかったためだ。コトバを変えていえば、「書かれた劇」としての戯曲を「演じられた劇」にする場合、俳優(演技)と、演出家(演出)が、戯曲というものをどう「了解(何であるのか)」し、戯曲とどのような「関係(どう用いるのか)」を持つのかが、安直にされたままで、演劇が成立させられてしまっていたからだ。

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