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2011年6月 7日 (火)

語り得るものは語らねばならない

この通信を終えると、引っ越しのため、しばらく開店休業となる。流山児★事務所の二人芝居tourを終えて、ずいぶんと勉強になることがあった。ある意味ではアポリア(難問)に遭遇したともいえる。そのことも含めて私たちの『恋愛的演劇論』は続くはずだ。べつに出し惜しみするようなことではないので、そのアポリアについて述べると、これは、私が劇団を営為していたときから持っていた、冗談のようなdilemmaで、「芝居をやるために劇団を存続させているのか、劇団を存続させるために芝居をやっているのか」というものだ。私は、結果的に、自らの芝居を選びたかったので、劇団営為を中止した。私はこのとき、「解散」というコトバは一切用いていない。(マスコミは、それが常套なので、そういうふうに書き立てたが)。「劇団というもので芝居することをやめる」というnuanceで、そのあたりのことは述べたつもりでいるが、適当なコトバがなかったので、「劇団はやめる」というふうないいまわしにしかならなかった。これは、私の語彙のなさの罪だ。ただ一人、劇団員として残った小林隆朗は、ナビロフトという小屋を存続させながら、今度、私とともにSLOFTを立ち上げることになった。その辺りの事情は、異論のある元劇団員もあるだろう。しかし、結局は、さまざまに、劇団を終えて、次のstageに立ったのだから、それはそれで、意義のあることだと思う。要するに、私たちは、ここで、そういった「劇団論」というものにも足を踏み入れる必要があると、課題を背負いこむだけだ。
もう、一つ、SLOFTを私は一種の「道場」ですと、他に説明している。伊丹アイホールでは、戯曲の塾を15年やってみて、自らのスキルから戯曲に関する考え方すべて、これを伝えていくということが、私自身が思っていたより重要であると悟った。ならば、このSLOFTでは、俳優・役者を創造することに、自らの演劇論の思想をすべて、投げ出そうと考える。かつて、熱き演劇論が闘わされ、あまりの熱さに殴り合いにまで発展した時代があったが、そういう時代を経て、かくなることはかっこ悪いことで、みっともないことで、大人のするべきことではないことで、演劇人たちは日常、演劇を語らなくなった。その代わりに怪しげなワークショップとやらがハバを利かせているのだ。また、真っ向からstraightに演劇を語る、平田オリザ氏の言説にイカレてしまう若者が多いのも当然といえば当然だ。つまり、オリザ氏の演劇論は、高校生程度のものなのだが、そのぶんワカリヤスイのだ。また、オリザ氏に対する反撥も、その政治性に対してであり、彼の演劇論に対してのまとまった批判は聞かない。しかし、批判すべきは真っ当に批判しておかねばならない。私たちは、演劇について、けして酒の席ではなく、ワークショップなどというあらたまった場所ででもなく、日常で、語り合ってもいい時代に、すでに生き始めているのではないのか。演劇を始めた若者は、演劇に生きてきた者たちに、演劇について話を訊きたがっているのではないのか。シニア演劇もよろしかろう。老人ホームで歌を唄わされるよりはずいぶん、マシだ。熟年女性の演劇もいいだろう。韓国俳優にうつつをぬかしているよりは、マシだと(ブーイングを虞れずに)いっておく。しかし、私は演劇を始めた若者たちに、演劇を語るつもりだ。それが、恋の秘密を語るかのように語れなければイケナイと思っているのだ。logicをromanticに語るのだ。論理でromanceを解くのだ。
ムンクやゴッホは、自らの経済的存続のために絵を描いたか。生前一枚の絵も売れず、かつ、精神に変調まできたしながら、絵を描き続けたゴッホのような闘いが、私たちにも始まる。たとえそれが、Don Quijoteと、嘲笑されようともだ。

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