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2011年6月19日 (日)

恋愛的演劇論・12

寺山修司も、また、故郷青森を離れて東京に出るときは、あるいは、その東京に立ったときは思ったに違いない。「東京も、またトウキョウという虚構ではないか」と。

  東京も開いてみれば街の本ページめくれば虚なる空

ここで「も、また」というのは綺羅、星のごとき天才たち、太宰治、石川啄木、高村光太郎、宮沢賢治、と同様にという意味ではナイ。また、川島雄三ともチガウ。寺山修司にとって東京は、たった一歩で征服すべく街だった。そのたった一歩は「虚構」という力であり、その根源には彼が終生棄てなかった故郷があったように思う。

 ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
 かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭

その虚構の力は、市街劇という特異な演劇を生み出した。市街で劇を演じるのではナイ。市街を劇場に観立てるのだ。これはテラヤマの仕掛けた、東京の「現実」に対する「虚構」の挑戦状だ。scandal性の高いこの「虚構」は、大きく海外でも成功するが、時代の変遷とともに、不幸な終息を迎える。寺山の死の3年前、1980(昭和55)年7月中旬に起きた彼の「のぞき魔事件」だ。当時の朝日新聞の記事はこう記している。
《劇作家で前衛劇団「天井棧敷」の主宰者として知られる寺山修司(44)=東京都港区元麻布3丁目=が、7月中旬、渋谷区内の他人のアパートの敷地内をうろついていて付近の住民につかまり渋谷署に突き出されていたことが31日明るみに出た。寺山は住居侵入の事実を認め、2日後に釈放、罰金の支払いを求める略式起訴をされた。渋谷署の調べによると、寺山は7月13日午後10時ごろ、渋谷区宇田川町8丁目、「八幡荘」=小林要さん(70)経営、木造モルタル二階建て、4世帯入居=の敷地内に入り込み階段付近をうろついているところを階下に住む小林さんの長男の重正さん(37)に見つかった。重正さんは、数年前から同一人物がうろついているのに気付いており、110番するとともに渋谷署に突き出した。アパートは路地の奥まったところにあり、通り抜けはできない。二階の3部屋がアパート、一階が重正さんの自宅となっており、重正さんが気づいた時、寺山は外から二階に通じる階段の上り口付近でキョロキョロしていたという。「何してるんだ」と問いつめると、寺山は「散歩している……」といったまま、しゃがみ込んでしまった。5年ほど前もしばしばこのアパート付近をうろつき、一度は警察ざたになったこともあったため、また来たと思って警察に届けたという。「天井棧敷」の事務所の話では、本人は現在、映画のロケで香港各地を移動していて連絡がとれず、日本に帰国するのは8月下旬の予定という》
この事件には、尾ひれがついて、噂は大きくなる。しかし、テラヤマの弁明によると、ほんとうは、出版社から書き下ろしで刊行する『路地』のために実地調査をしていたのだ。「オルグレンという作家のルポルタージュ“Division Street“に触発された。彼は自分のアパートの近くにあるひとつの小さな路地を毎日、意味もなく訪ねて行って、そこの住人たちと、とりとめない会話をしては記録しておいた。それも20年以上にわたってつづけたんだよ。膨大な記録を整理したのがその本で、(中略)一軒ずつの家の生成と消滅とか、飼い犬の歴史とか、ゴミ箱の位置の変更とか、犯罪事件とか、じつに細部にわたって書きこまれている。かれはその行為を〈日常生活の冒険〉と呼んでるけど、とにかくおもしろい本だったんだ。それが今度の企画のヒントのひとつになった。で、ある一定の期間、うちの座員にその町に住んでもらって、実地調査をするというフィールド・ワークも考えてるんだ。これは〈天井棧敷〉がやってきた市街劇の一種だといってもいい」
しかし、この「虚構」はもう、いまの「現実」では通じない。私たちはいまの「現実」というものが、フーコーの述べたように「監視」というまったく「意味の変わった観客」を登場させたと認識しなければならない。

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