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2011年6月17日 (金)

恋愛的演劇論・11

そもそも商品(自身も含めて)を売るという行為の半分はインチキなのだ。アメリカのセールスマンの合いコトバは「誇張はすれどウソではナイ」であり、これはいつの間にか日本でも面接のときの自身の売り込みの心構えとして定着している。いまでは、多少このコトバは変容して「効果には個人差があります」というのが主流になった。つまり、サプリメントが大量にあふれるこのご時世に、効果のほどは、サプリメント自体の問題ではなく、それを用いる個人の問題となったワケで、これは、発売元のハナっからのイイワケ、逃げ口上、つまりいうなれば、インチキ紙一重だ。テキヤも薬事法で薬品は売れないので、サプリをそれらしい高価な薬品のごとく売る場合があるが、買った客には名刺を渡す。何かクレームがある場合は、そちらまで、というワケなのだが、もちろん、住所も名前も電話番号もデタラメだ。
映画も演劇もインチキをしている。キャッチコピー(惹句)の他に、最近では、識者、有名人の感想がひとこと羅列され、その映画がいかにスゴイかと煽るのだが、週刊誌などの雑誌に書かれる寸評はもとより、新聞におけるわずか2~3行の文句にも、ちゃんと原稿料が支払われている。これもまあ、観るひとの個人差だから、いくらひどい映画でも、問題は映画のほうにではなく、個人に帰せられる。
最近は映画も演劇どうように、ハズレの確率が高くなってきたので、(その理由は意外と簡単だ。錢と時間がナイ、これにつきる)演劇も肩身の狭い思いをすることがいくらかは少なくなった。それでも、映画のように特割1000円dayを増やすことは出来ない。どうしたって2000円以下での上演は無理だ。一回の公演で30万円の赤字が出て、劇団員が10人であれば、一人頭3万円の持ち出しになる。5人ならば、6万円だ。そこへきて、チケットノルマが重なれば、2回ばかりの公演で、劇団は瀕死の状態を迎える。極端に思えるかも知れないが、これは殆ど「現実」なのだ。「虚構」で稼ぐしかナイのだが、あいにく「虚構」には使用価値もなく、交換価値も定まったものではナイ。これは「虚構」というものに、等価形態や相対的価値形態という、およそ商品にあるべき価値形態が確立していないからだ。そこで、人寄せパンダか、いまを花の若手芸能人の使用価値を物証化させていくしかナイ。この物証化(人と人との関係であったものが、あたかも、モノとモノとの関係に替わること。モノそのものが最初から価値が在るモノとして、他のモノと関係すること)こそは、一つの「虚構」であるのだが、「効果には個人差がある」ものでなく、なんびとにも、ある程度の効果を与えるのだから、あながちインチキとはいえないのだ。「虚構」の持つ力ではあるのだろうが、さて赤字で瀕死の劇団が第三回公演に、赤字脱却作戦として、「女優が全裸で出演します」という惹句をチラシに出した。で、料金を上げて(こういう場合は高くしたほうが信憑性が増す)の、特効公演だ。で、客は、来るのである。この場合は「女性の全裸」が物証化している。しかし、これは「虚構」といえるのだろうか。「必然性があるのなら、私は全裸も厭いません」と、ある高名な女優がいったとき、「必然性なんてなくても、私たちゃ脱ぐんだよ」と、ポルノ映画の女優がせせら笑った、という話は有名?な逸話だ。

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