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2011年6月26日 (日)

恋愛的演劇論・18(改稿)

オリザ氏は、演出家に必要な要件として、五つ挙げる。
①世界観、②方法論、③構成力、④説得力、⑤リーダーシップ。次いで、これらをワークショップの流れに沿って、具体的に説明するのが『演技と演出』という書物の役目であると、した上で、ワークショップを次のように定義する。
~~「単なる知識や技術の伝達や習得を目的とするのではなく、演劇を通じて、身体表現や、言葉、コミュニケーションなどに興味を持ってもらおうと考える」~~(同)
①から⑤が、ワークショップにおいて具体的にいえば、身体表現や、言葉、コミュニケーションの生得において、どういう力を発揮するのかが、このアト展開されるということだが、もちろん、それは、オリザ氏の提唱する『現代口語演劇』というものを創るにあたってであることには、留意しておなくてはいけない。従って、何故、①から⑤までが演出家の必要条件なのかは、ここでは問うても仕方がナイ。むしろ、『現代口語演劇』というものがどういうものであるのかを先に知っておいたほうがイイと思われる。
『青年団』の主張するところを引用しておく。
「従来の日本演劇に対する平田の批判の中核は、西洋近代演劇の移入をもとに始まった日本の近代演劇は、戯曲の創作までもが、西洋的な論理で行われてきたのではないかという点にあります。このために、日本語を離れた無理な文体や論理構成が横行し、それにリアリティを持たせるために俳優の演技までが歪んだ形になってしまったと平田は考えてきました。「ときには聞き取れないような小さい声でしゃべる」「複数の会話が同時に進行する」「役者が観客に背を向けてしゃべる」(中略)これらの特徴はすべて、これまでの演劇理論を批判的に見直し、日本人の生活を起点に、いま一度、新たな言文一致の新鮮な劇言語を創造し、緻密で劇的な空間を再構成していこうという戦略にもとづくものです。人間は日々の生活のなかで、大恋愛や殺人事件ばかりを繰り返しているわけではありません。人生の大半は、これまでの演劇が好んでとりあげてきた大事件とはまったく無縁な、静かで淡々とした時間によって占められています。(中略)人間が存在することは、本来が驚きに満ちたことであり、その存在自体が劇的です。人間の生活はそれ自体が本来、楽しく、優美で、滑稽で、間抜けで、複雑で豊かな様相を内包しています。私たちは、その複雑な要素を抽象化しながら舞台上に再構成し、その静かな生の時間を、直接的に舞台にのせようとする試みをつづけています。(中略)平田オリザと青年団は、こうした実践的で新しい演劇理論にもとづいて、これまでになかった演劇様式を、一歩一歩着実につくりあげてきました。私たちは、「現代口語演劇」が、そのすべての完成をみたときに、現代日本社会の錯綜する精神状況を映し出すことのできる真の「現代演劇」が誕生するのだという自負をもって、日々の創作をつづけています」。
当方に不都合なところを中略したワケではナイ。それにしても、えらく突っ張らかしてるじゃないか、兄ちゃん姉ちゃん。と半畳入れたくもなる。というか、私ゃユーゲント(青年団)かと思ったぜとでもいうべきか。私は日本の演劇が、現代演劇としてだけの水脈で発展してきたとは考えていないということだけを述べるに止める。つまり、「西洋近代演劇の移入をもとに始まった日本の近代演劇は、戯曲の創作までもが、西洋的な論理で行われてきた」などということは、まったく信じていない。もし、それを起点に『現代口語演劇』があるならば、それは、-破産した神話の上に-建物を建てようとしているようなものだ。もちろん、日本近代演劇も、近代西洋演劇と日本のアジア制(西欧の支配と従属に対するアジア共同体の在り方。歴史的な概念であって、空間的にアジアというものではナイ)との葛藤と闘争の中に、生成されてきたとみるべきだ。

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