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2011年5月11日 (水)

ひとには固有の時がある

台風1号が発生して、その影響で、雨が続く。ニュースの天気予報を観ながら、母親はいう「もう、何もかもオカシイ」。たしかに、この季節に台風だ。宅急便の荷物を出しに行くこともままならない。五月雨のなどと、一句やってる余裕もナイ。もっとも、五月雨というのは梅雨のことだから、五月に降る雨のことではナイ。
祖母の代からあった古い柱時計を転居先に持っていくことにした。この時計の文字盤がまだよめなかった頃、私は5時になると風呂を焚く家事を仰せつかり、向かいの乳母がわりだった小母さんに「いま何時」と、何度も何度も訊ねにいった。小母さんが留守のときは、ご近所に訊いた。各家庭に時計はあったのだが、小母さんに訊くときも、ご近所に訊くときも、私は必ず、家の柱時計の前まで来てもらった。私が風呂を沸かす時間は私の家の柱時計の中にしかなく、場所によって、時間は異なるものだと思っていたからだ。もちろん、この柱時計は動かなくなってから久しい。今度、転居する独り暮らしの名古屋にこれを持っていくのは、そのまま時間が止めたいからに他ならない。刻々と過ぎ去る「いまのこの刻」ではなく、「そのままの時刻」というものが欲しいと思ったからだ。ツアーがあるため、休載することになる『恋愛的演劇論』も、現実と虚構を問題にしているが、過ぎ去っていく「時間」だけは、現実の中で、なまなましく、対峙するしかナイ。しかしながら、虚構の時間は、止まっているのだ。こういうこともまた、論考してみたいと思う。

 動かざる柱時計のアーカイブとりだせぬまま永遠(とわ)に眠れり

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