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2011年4月23日 (土)

私のドクサとして

20日の夜の大阪ウイングでのトークイベントについても報告しておく。主要なテーマは二つ、「オダサク・・・」と「大阪演劇状況」。観客の殆どはオダサク出演者。なんか喋ったナ、と。私のトークなんざ与太とハッタリが多くて、まあ、ほんとのところは3割。そのアト、近所の居酒屋に流れて、小堀氏の計らいで、「オダサク」女優連中の中に座らせていただく。綺羅、星のごとく(「綺羅星のごとく」といういい方は誤用。「間髪を入れず」が誤用で、正しくは「間、髪を入れず」というのと同じ)女優たちに交じって、なんだか、真面目な話もちょっとしたみたいだけど、「どういうタイプの女性が好きなんですか」という話題が中心。「相楽ハル子」といったが、誰も記憶している者はいなかったようで、どんどん今様人気女優の名前を挙げていってもらうが、「そのひとパス」「何故ですか」てな問答があって、まあ、適当なのに落ち着かせる。エライと思ったのは、質問者が「この中では誰」というような仁義無用をしなかったこと。酒席でも、みなさん、心得ていらっしゃる。多くの女優たちが、私のブログ読者であるというのが、ありがたかった。「大阪の演劇情況」については殆ど知らないが、私の観る限りの、大阪の役者たちのコンビネーションとアンサンブルの良さは東京芝居をしのいで余りある。名古屋では、まだ、そういうものが出来ていない。SLOFTの目的は、そこんところのようにも思える。「天使が徒党を組んで悪事を成す」。徒党は仕事が終わればそれぞれに去っていく。かくして「集まるものは、集まるべくして集まる」、と、それが演劇だ。
ブログのアクセス歴をみると、地震と演劇について書いているところで、急激に800人をこえるところまで増加。そのアトは、いつものように100~150人。あのブログをまとめたところに補足したものは、『悲劇喜劇』(早川書房)の次号に特集で入る。
地震について書いたので、またまた天皇皇后両陛下の被災地訪問について書く。今度も直接、被災地の茨城県北茨城市、大津漁港。倒壊して死者がみつかった民家に向かって二度の黙礼。あたしゃ、テレビで観てて、また涙ぐむ。これは右翼、左翼の信条思想主義運動とは何の関係もナイ。江戸時代、私たちのような芝居・芸能もんが、河原でしか居住出来ず、それゆえ河原者と称されたように、それがいまでは、皇居という場所にすり替えられただけのことで、河原という外に出された私たちの近縁の者の総元締めである天皇は、皇居という「外」に在るだけのことだ。近世、江戸時代、「乞胸(ごうむね)」という者が存在した。これは江戸時代の大道芸人をさす。曲芸師、猿若(コメディアン)江戸万歳、辻放下(つじほうか・皿回し)、操り(人形まわし兼手品師)、浄瑠璃、義太夫語り、能役者や歌舞伎役者や鳥や獣の物真似芸人、説経節語り、そして講談師等々、さまざまな雑芸を演じて門付けしてまわる芸人たちのことだ。彼らは江戸時代では、仁太夫(にたゆう)という乞胸頭(ごうむねがしら)の支配下にあった。仁太夫にいくらかの金を払って鑑札をもらい、芸をして、日本全国の祭礼(タカマチ)を廻ったのだ。これに香具師や的屋(マトヤ)露天商などを加えて、総称を「テキヤ」という。その創始は、田植えや刈り入れのさいに、笛や太鼓で歌い踊り、これを囃して祭儀とした「神人(じにん・しんじん)・・・まれびと」になる。
陛下は、昼食に「地元で捕れた魚料理」を召し上がり、「コウナゴは入っていますか」と問われ、あれば食すという姿勢までみせられた。陛下の偉さは、避難所のお見舞い訪問のさいも、政治家のようにけして登壇されることなく、被災者のひとりひとりに膝つきで面談されるという、一対一対応の方法をとられていることだ。総理大臣の避難所訪問のさいには怒声、怒号が飛ぶが、天皇皇后両陛下に対しては、避難民はある「やすらぎ」をもって慰められる。ほんとうの天皇制というものは、かくなるものだ。

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