今朝4・15の中日(東京)新聞のハチャメチャから
30面の『特報』。大見出しが「原発建設 現場ハチャメチャ」・・・なんともはやなタイトルだが、この記事については、内容ともども、これを書いている記者(佐藤圭氏)にも、物書きとしての提言する。最初の一行、つまり本文に入るまでの、数行の最初だが、「原子炉格納容器の鉄板が作業員の立ち小便で腐食する」とある。本文の体裁は、元技術者である、菊地洋一さんへのインタビューをまとめたものになっていて、本文にもその箇所は登場する。総論は、原発の安全は設計段階までで、施工技術は未熟だということで、そのずさんさのひとつが作業員の格納容器への立ち小便だ、なんだけど、その理由が、トイレまで上がっていくのに時間がかかって面倒だから、というのは、施工技術の未熟さではなく、作業員の業務に対する姿勢、自覚の問題だ。ビル建設にしても、原発建設にしても、未熟な作業員はいるだろうし、「一日の仕事を終えて早く帰りたいひとがたくさんい」るのは、アタリマエのように思える。現場の業者が工事ミスをメーカーや東電側に伝えると、煙たがられ、次からは使ってもらえないので、報告しない、というのも、どういう事例があったのか、菊地氏は現役ではナイのだから、名指しでどの工程でかを公表し、それをこの記者は記事にすべきだ。また、菊地氏自身がみつけたという配管の欠陥についても、同様に公表したほうがイイ。「原子炉がいったん、暴走したら守ることは出来ない」という諫言も、「暴走」ということが施工技術者からみて、何を示唆しているのかを、記者は訊かねばならない。締めくくりの浜岡原発について「もし事故が起きれば、ひとたまりもない。福島以上になるだろう」にも、直下型地震における事故としているが、直下型地震においては、原発の設計者は安全に自身を持っており、福島でも、地震そのものに対しての損害は報告されていない。菊地氏のいいぶんは、原発の施工技術が追いついていない、ということに集約される。これについては、施工技術者の技術が、原発というものと、他建築物とでは、どのような違いがあるのかを、記事として説明すべきだ。で、なければ、この記事は殆ど、一人の元技術者の感想で終わってしまう。まして、「原子炉格納容器の鉄板が作業員の立ち小便で腐食する」という、単なる惹句のような文言を主軸に、記事内容を展開するのは、「原子炉格納容器の鉄板は、鉄板焼きの鉄板よりも、もろいものかよ」と、どう考えても、信じがたい。この文言のエビデンス(根拠)が、どこからきているかは、尿の成分と鉄との化学反応に依ることにマチガイはナイ。尿(小便)の成分の95%は水だ。しかも弱酸性で、その酸性度は、人肌と同じだ。問題はミネラル成分の塩化ナトリウムということになる。たしかに塩化ナトリウムは鉄の腐食を助長する。とはいえ、それが、格納容器を腐食させるというのはオソロシク短絡に過ぎる。格納容器は、それほどヤワには造られていない。格納容器破損の虞れは、もっと違うところにある。しかしながら、こういう単に興味半分な記事でも、充分に、私たち庶民大衆は不安、困惑するのだ。この時期、原発関連の記事は、慎重を要することをたとえ大新聞の記者であろうとも、心してもらいたい。
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