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2011年4月10日 (日)

原発と節電

ニュースでは、反原発市民運動のみなさまが、デモやってる。「原発やめろ」だ。ここぞとばかりの運動だ。ネットでも、活動家が、悪質な流言を飛ばしている例もある。しかしな、地震の際、最も早く救援に駆けつけたアメリカ海軍の空母は、原子力空母だ。今度の場合も、それいけいまだと、イデオロギーを介入させるのは、ちょっとどうかと思う。
さっき観たテレビの番組では、AKB48のお嬢さんたちが、家庭で出来る節電をアピールしていた。そりゃまあ、悪いことではナイ。無駄な電気など使わないほうがイイ。ところで、CMからは、オール電化が完璧に消えたナ。うちの実家はオール電化で、年寄りにも安全だ。飲料水はその代わり井戸水だ。
さてと、無駄な電気といえば、私などは、やたらと増えた自動販売機のベンダーをふと、思い浮かべる。実際に調べてみると、現在、日本にあるベンダーは560万台。さまざまな種類があるが、もっともポピュラーな、缶、ペットボトルの販売機(これがいちばん消費電力は少ない)の一カ月の消費電力が230kw。うんと少なく見積もって自販機総台数の台数を、この種類だけの(半数である)230万台だとする。すると、なんとまあ、一年あたりで、52憶9千万kwの電力消費だ。事故があった東電の年間電力量は一年で3000憶kwだが、自動販売機総数にすればその15~20%くらいの電力量を、あの自動販売機だけで消費なさっているのだ。節電をいうならば、自動販売機の設置規制を設けたほうが得策であるのはいうまでもナイ。だいたい、置いておくだけで、儲けようなどという根性が汚い。台数余剰でそんなにゃ儲からないのにネエ。
文化、文明は、退行するが、科学は後戻りしない。原子力にも、ヨウ素やセシウムやプルトニウムの反応運動にも、放射線にも罪はナイ。東電の事故は、「人災」だということを忘れちゃいけない。ひとは、原子力発電を制したと勘違いしていた。人間が造ったものに想定外などというモノはナイ。演劇なんか、想定外ばっかだぜ。東電の事故は、単に想定出来なかっただけだ。あるいはしていても、油断したか、何処かで、手抜きの銭勘定優先になったのだ。安物買いの鼻失いとは、よくいったもんだ。現在、現場でなんとかこの事態の収拾に努めている命懸けの作業員の方々には、敬意、敬服、畏敬の念のみ。なんで、管総理は陣頭指揮に立たないんだ、東京工大卒の肩書が泣いてるぜ。

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