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2011年4月 2日 (土)

個々人たる観客

阪神淡路震災のときのコメントで(漠然とした記憶でしか書けないのだが)、ビ-トたけし氏は、死者の数が六千余名だというけれど、数だけいえば、年間の交通事故死者のほうが多いんだから、というようなことを、批評的にか、揶揄というカタチで述べていたが、この度の東日本大震災においては、週刊ポストにおいて、死者数を中国の四川省地震の八万人と比較するようなことは、死者への冒涜だと答えている。「そこには、一人死んだ事件が2万件あった」というようないい方をしている。
阪神淡路の震災の際、特番で、毎日、その日判明した死者の累計を伝えていたNHKのアナウンサ-が、「私たちは単に死者の数を読み上げるだけですが、この四千数百の方々には、四千数百の人生があったわけです」と、いうなり、絶句、コトバを詰まらせて涙を流した映像は、未だに私の記憶に残っている。
死者、行方不明者を合わせて2万7千人をこえる、この震災の被害者数は、そのとおりに2万7千通りの人生があったのだ。オキナワ、ヒロシマ、ナガサキ、東京大空襲と、数万数十万の無辜の命は、一挙に、個々人の人生を奪ったが、災害もまた、善悪の彼岸において、数万以上の命と人生を、個々人の、信条、信仰、生きる姿勢、年齢性別、他者との関係、人格、過去の反復から将来、未来、行く末をすべて灰塵に帰して奪った。
戦争は人災だから、食い止めることも出来るが、自然災害は無情だ。エコだの自然との共生だの、自然は素晴らしいだの、そういうこともまた、神話に過ぎぬ。原発事故のいい訳の「想定外」も、自然の力に対する驕りでしかナイ。(ただし、今回の原発事故と、そのアトの対応については、原発に従事しているはずの技術者は、歯痒い思いをしているに違いない。経営優先で、肝腎の技術部門が後退を強いられていたからだ)
不幸は、前人未到のカタチで、一斉にやってくる。しかし、幸せというのは、あくまで個々人のものだ。メ-テル・リンクの『青い鳥』では、チルチル・ミチルが幸せの青い鳥を捜して、家にもどってみると、家の鳥籠に青い鳥がいて、その教訓は、「幸せというのは身近にあるものだ」ということになっているが、私の解釈は、そうではナイ。幸せというのは、鳥籠に入る程度のものだ、ということだ。つまり、個々人がそれを下げて歩ける程度のものだ。
演劇を鑑賞するのは、観客数ではナイ。あくまで、演劇の表現は、1体1対応する。それは個々人の幸せ(または不幸)であり、個々人の平和な時間の象徴だ。東日本震災において、一挙、一斉に平和と幸せを剥奪された人々が、「個々人」の観客として劇場に足を運んでくれるまで、私たちもまた「力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」

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