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2011年4月30日 (土)

恋愛的演劇論・6

たとえば私たちは自分が「ほんとうはどんな人生がおくりたかったのか」と振り返ることがある(もしくは出来る・・・こういうのを実存主義と、まあ、いってるようです)。このとき、振り返った人生というのは「現実」なのだろうか。それとも、過去を美しく、あるいは後悔の念で苛む「虚構」なのだろうか。私には、高校一年のとき、ずっと1年間、同じクラスで片思いをしていた女生徒がいた。二年生になったくぎりに、love letterを書いて、みんごとふられた。彼女の実家が牛乳屋さんだったということもあり、「今朝は遅刻しそうだったんで、店の牛乳だけ飲んできちゃった」なんてせりふを耳にしている。で、私はストーカーのように、自転車で駆けずり廻ってその牛乳店をみつけ、なんだか嬉しくなった記憶がある。それから、三十有余年、彼女が結婚して、関西にいることを知った私は、伊丹アイホールの公演に、招待した。彼女は娘と一緒にやってきた。彼女のほうは、もう30年の歳月で、まったく違う印象になっていたが、娘さんのほうがだいたい、その当時の年齢で、面影が強く、ああ、きっとこのひとだと思って、挨拶をした。それから、1年間の片思いの話や、牛乳店のことなど語ったのだが、意外にも、彼女の実家は牛乳店ではなかったし(私は当時、表札まで確かめたのだが)、それを根拠に、自分が1年間も私に思われていたことなど、冗談でしょと、相手にしないのだ。まあ、こんな私の恥ずかしき青春物語はどうでもイイ。いま、死の床にあるひとでナイ限り、これからの人生を、どんなふうに生きようかということについては、「ほんとうはどんな人生がおくりたかったのか」という過去を参考にする。(これをキルケゴールやハイデガーは「反復」というふうに称している)しかし、「これからどんな人生をおくろうか」は、まぎれもなく「等価原理」に置かれる。つまり、「現実」であり「虚構」である。やって来るのは「現実」に違いない。正しくはやって来るのを「現実」と称さねばならない。ある程度の資産も出来た家も新築した、子供たちは独立した、犬を飼った、さあ、この先の人生は、と、思った瞬間に、グラッときた。これは加速度ではナイ。地震だった。次は津波だ。そうして放射線だ。何もかも失って、佇んでいる「現実」。少なくとも将来、未来に夢を持っていた。それはimageという「虚構」だ。夢というものは叶えば終わる。「恋」というものもそれと似ている。あるひとが「魚釣りが生涯の趣味として最も素晴らしいのは、恋と同じだからです」といった。魚釣りは、魚を釣るまでが楽しいワクワクで、釣り上げてしまえば、アトは、釣った魚を自慢するところで終わる。恋はそこまでだが、魚釣りは、そのような行為を続行出来る。何度でも。釣れるかも知れない、どんなのが釣れるだろう、というのは「虚構」だ。「恋」は成就すれば、その場で終わる。何度でも続行というのは、ままあるだろうが、そんなにあるワケではナイ。恋多きなんとやらといわれたところで、人生の可限から知れたものだ。
皮肉なことに、「こういう人生がおくりたかった」というのは、過去の「現実」に強く依拠しているが、「こういう人生をおくりたい」という未来へのperspective(パースペクティブ・見通し、或いはニーチェは、たぶん、自身の存在を世界に適合させるために、他の存在者(対象)を類別して、自分の認識や表象(image)に繰り込んでいくことをいったのだと思う)は、ともかくは「虚構」だ。ただ、この場合の「虚構」は過去の「現実」に影響されているということに過ぎない。
そうして、過去の「現実」おいて、幾度も「恋」に失敗したので、今度は失敗しないぞとヤッちゃう「恋」が、けして成功するとは限らないのは、何度繰り返しても、「恋」は等価原理の中に在るからだ。恋愛初期において、「このひとを一生離しはしない」と思うのは誰しもそうだが、けっきょくは綾小路きみまろ漫談のネタになってしまうのも、また誰しもそうなのだ。従って、ひとはいつも「こんな人生ではなく」「ああいう人生が」というふうに「虚構」を繰り返し、ついに、「私は、生まれた時代が悪かった。江戸時代なんかが良かったな」と、そういうことを思うようになるから、昨今のごとき「時代劇」「時代小説」ブームの到来となる。それはもう紛う事なき「虚構」である。

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