演劇に何が出来るのか
『阪神大震災は演劇を変えるか』(1995年・晩成書房)は、多くの関西演劇関係者によって編纂された、阪神淡路震災と、演劇の位相についての苦渋と捲土重来の寄せ書きである。もちろん、関西圏で多く上演経験を持つ、私もインタビュ-に答えるというカタチで参加している。インタビュア-は、当時、日本経済新聞の関西芸能を担当してらした内田栄一さんだ。ここには、インタビュ-前に私が書いた劇団通信から、長い引用がなされている。一部を転載する。「地震被害はこれで終わりではない。やっと始まったというべきである。日本の経済的繁栄は、主要都市の地震活動が、ちょうど温和な次期に重なっていただけである。関東、東海、そうして関西においても、今後、震災は必ずある。防災は行政とまた自治体や個人の問題であるが、演劇はかくなる場合にいったい、何に対して有効であるのだろうか。これは非常に痛裂な観客論であるし、表現者に突きつけられた大きな問いかけである。
私は、私たちの演劇が、即効的に有効性を発揮するものだとは思っていない。私たちの演劇を観たからといって災害時にどうなるものでもない。そんなことは分かり切ったことのように思われる。(中略)では、演劇は非常時には無力なのだろうか。演劇は畢竟、遊戯である。従って(私の)演劇の有効性とはまさにこうである。被災地に焼け残ったボ-ルが転がっている。身内を失った父と息子あるいは母と娘でもいい。兄弟でもいい。そういうひとがいる。家はないが空は青い。そのとき、子供がボ-ルを拾う。父はこっちに投げろと合図する。子供が投げ、父が受け、キャッチボ-ルが始まる。瓦礫の中で生き残った証のような、ひとつの遊戯が始まる。この人間の力を信ずることこそが、私の演劇であり、演劇の唯一の有効性なのだ」
この自問自答から得たものは、いまも変わっていない。マスコミでは、精神的ケアというものがいわれるが、このさい、ハッキリいっておけば、この事態、この時期において、被災地に対しては、「演劇などは何の役にもたたない」ということを自覚するほうが、演劇人、演劇関係者にとっては必要なのだ。この度の地震は、阪神淡路に比して広範囲だ。救援物資にしても、やっと行き渡り始めたところもあれば、未だに、何処に誰が避難されているのか不明なところもある。情報が遮断されている。この情報が伝わり始め、東京、名古屋、関西では、演劇活動が行なわれているということを知らしめることのほうが重要なのだ。特に東京では「(無)計画停電」に関わらず、幾つかの小屋では、何とか舞台が上演されているということ、まだ、日本の遊戯、娯楽は大丈夫だということを、それだけの余裕があるのだということを、送信することのほうがタイセツなのだ。技術者は技術者なりに、経済人は経済人なりに、アスリ-トはアスリ-トなりに、ア-チストはア-チストなりに、flagをたてよ。被災地の数多の破砕されたランドセルの傍らから、避難民の誰かがボ-ルを手にして、キャッチボ-ルする遊戯を始めたとき、あたかも、投球の手伝いをするかのように、そこから演劇は始まる。必ず、息を吹き返す。そのときは、その地に「演劇」のflagをたてればイイ。