五十歩百歩
おこがましいことをいうが(いつもいってんだけど)、18歳の頃、座右の銘のように思い、いまにして、それだけは59年間、あるいは、名古屋での40年間、生きるのにほんとに役立ったというコトバがある。一つは岡倉天心の「目先の銭にこだわると一生食っていけなくなる」で、もう一つは吉本隆明さんの「何で食っても五十歩百歩」だ。「目先の銭」といっても、どのくらいの額なのかは手前かってに決めなければいけないのだが、たしかに、コツコツ儲けようとか、使うことを惜しむとかはしなかった。近江商人の末裔の血のせいか、死に銭は使わないが、やがて活きてくるだろう銭(つまり、現代経済学でいえば投機とか、投資、マルクス経済学でいえば、労働力となるもの)については、ケチケチしなかった。性分なのか、自分のものを買うのはナカナカ出来なかったが、ひとのものを買う(つまりギフトですな)ことは、いくらでも出来て、惜しいとは思わなかった。また、宮沢賢治のように芸術で食ってはイカンなどとも思わなかった(というより、自分の仕事が芸術などと思ったことがなかったので)、きぐるみの人形劇の台本を書くのも、市民(子供)ミュージカルとやらの賃仕事も、自分の劇団にレパートリーを書くのも、格差をつけたことはナイ。いうなれば「すべて売り物」だ。そんなワケだからか、食うのに困ったということはナイ。2度離婚して、大枚はたいて、私財や稼いだ分は殆ど無くなっていったが、それでも何とかしのいでいるのだから、自分でもたいしたもんだと思う。べつに書き仕事の他に副業などあるワケではナイ。・・・さて、最近は年齢からか、こう思うようになった。「どこで死んでも五十歩百歩」。これだけいろいろと心身が壊れてくると、いつ、どこでくたばるか、覚悟だけはしておいたほうがイイと思うようになったのだ。もちろん、なるたけ無理せず、修理しつつ生きてはいるが、若い頃のように「ここで倒れたらどうしよう」などという心配はしなくなった。くたばったら、その時はその時だ。これは覚悟などという奇麗事ではなく、諦めだな。悔いが残るほど人生というものをたいしたものだとは考えていないので、出来たこと出来なかったこと、というふうな確執もたいしてナイのだ。ただ、演劇などというえらく難儀なものを選択せざるを得なかったのは宿命だか、運命だろうが、それもまた、五十歩百歩のうちにしか過ぎないのだろう。
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