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2010年12月

2010年12月31日 (金)

臨時開店

昨日帰郷。そろそろ何か書かれているかなという、100人~150人の精鋭なる読者のみなさま。ご要望どおり。とはいえ、外は雪。ああ、日本の冬、師走、大晦日。帰ってきても、パソコン相手の仕事がたまっていて、ヒマなし。名古屋ではパラレルに仕事をこなしていたので、血圧は下が107まで。いや、ちょっと歩くのにもキツクて、ヨタヨタしてました。一尾直樹監督のインディーズ映画(登場人物が三人だけ)にも、出演しました。現場では意地でも台本を開けるものかと、他の若いひとに負けじと、せりふを入れて、キャラクターを創っていきました。が、女性のやくどころが、京都のひと、京都訛りで演じますから、これはちょっと勘狂って、当初は戸惑いましたわ。ともかくその日現場での初顔合わせですから。カメラは一台、フィックスです。音声さんは、手伝いに来ていて、いきなり音声をやらされた、女性監督の玉子。二度機械のスイッチの入れ忘れがありましたが、これは逆に現場の和みになったようです。いい映画を撮って下さい。お声をかけてくだされば、出来るだけ出演しますから。avecビーズの稽古は29日までの予定でしたが、26日に座長が知恵熱でお倒れになったので、27日から年末休みにしました。始動は年明け4日から。ともあれ、枠組みは創れましたから、アトは、役者さんの手からホンが離れて、キャラに磨きがかかるのを待つだけ。流山児との二人芝居はまだせりふは頭の中に残っています。これも、1月になったら、一日一回ホンに目を通せば大丈夫でしょう。・・・さて、SLOFT(スロフト)というものについて、明日、この欄で、お報せいたします。期待していて下さい。21世紀フォックスの1月公演は、稽古も佳境でしょう。7月はラブコメをということで、いやもう、これをいつ書くか、はざまをぬっての執筆になります。気分転換に娯楽小説(『公安特務傭兵・ただの自転車屋』)も書いているのですが(せいぜい私の死んだアトにでも、だれか、出版してください)これを書いてるヒマもナイ。山田風太郎先生の小説のようなものなんですけど、まあ、趣味の小説です。名古屋では、飲みに行くこともなく、パチンコもしないので、もっぱら読書しかすることがありません。いつのまにか、次第に本が増えていき、どんどん頭が良くなっているので、コワイほどです。

2010年12月 4日 (土)

長期開店休業

埼玉まで、維新派を観に行く。劇場まで、移動が片道4時間以上になる。着いたところで、もうへたりへたり。そこから2時間、維新派の舞台。これが、疲れた心身に心地いい。演目はアジアの考古学、のようなふう。開演前、楽屋で、松本雄吉さんと雑談、歓談、閑談。ゆんべは帰宅してから、ビール一缶を持って二階の自室に座ったら、もう何をする気力も体力もナイ。そのまま、寝る。一応、熱と血圧を測定したが、正常値。疲労は鬱病からくるもので、治しようがナイ。・・・さて、6日からは、avecビーズの稽古が名古屋で始まる。よって、ブログは、うまくいけば週一で書けるくらい。これが、2月までつづいて、合間を縫って書くつもりだが、3月は東京。かなり、ご無沙汰することになる。アラ還ということだが、クラモチくんの享年(62歳)までは一所懸命のココロ。還暦を迎える前に、再度、演劇の仕事にとりかかる予定。老兵は死なず、未だ去り行かず。

2010年12月 1日 (水)

start line

永島慎二の『漫画家残酷物語』の完全復刻版(全3巻)が出版されたので読んだ。これは私が高校生の頃に傾倒した漫画家であり、私は漫画家になろうという夢があった。いわばこの作品は私の人生のstart lineとなった。ここから私は、太宰と安吾に同時に没頭していくのだが、そういうのは極めて稀なケースで、ふつうはどちらかに寄り添うらしい。たぶん、私のバランス感覚がそうさせたのだろう。再読してみて、1巻はルサンチマン(怨嗟)であり、2巻めは自己否定(自傷的)であり、殆どイイ作品はナイ。ところが、3巻目になると、romanticismが強く、読むに耐える作品となる。とはいえ、いま読めば、マンガはマンガというところだ。なぜ、3巻目で、その体裁やレベルが定着したのかと考えると、おそらく、作者である永島慎二さんはこのシリーズで、漫画業界で食っていけるようになったからだろうと思う。「食えなくてもイイ、描きたいものを描くのだ」という、主義主張のもとに描かれた漫画によって、食っていけるようになってから、漫画のレベルがアップするという、なんとも皮肉なことを、この世間は手品のようにやってみせるのだ。私はこの作品で、「東京」というものに憧れたと記憶している。もう少し具体的にいえば、東京での漫画家志望少年としての生活に憧れたのだ。名古屋に住み始めてからも、何度も東京には足を運んでいる。あの頃の都会といえば、東京しかなかったもんな。ともかくも、幼いながら、私はこの作者の作品から初まったのにマチガイはナイ。私は漫画を演劇に持ち替えたが、筆で食える(食わせられる)ように生活したことが、いまの渡世となったワケだが、それはそれ、「食うていく気にならんと上達せえへんで、ニイちゃん」と、人間ポンプのテキ屋の師匠にいわれたひとことが、二度目のstartだろうけど、この漫画は、いまなおnostalgicな最初の私のstartだ。

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