下駄の高さ
下駄は履けばイイと思う。ただし、そのぶん、次はその高さからみえたぶん、成長していなければいけないというキビシサはある。林慎一郎・作、演出、極東退屈道場公演・(於ウイングフィールド)『サブウェイ』は、聖書の創世記を地下鉄に走らせて、[現在]を重層的に観ていこうという果敢なる挑戦の演劇で、コンテンポラリー・ダンスの原和代を振り付けに迎えて、役者の演技における身体に、特殊な動きを与えるという、さらに「やってみたいこと」をやっちゃってくれようという下駄を履いたのだ。登場人物の幾人かは、ゼッケンに役名や、職名、意味だけ、などの記号を貼り付けて、さらに、スライドで、書き文字による解説を入れるという手のこみようなのだが、これをみて、従来の記号論のSPECなのか、それを揶揄したものなのか、あるいはその先に何かをみいだすものなのか、ここは賛否が分かれるというより、解釈そのものが分かれるところで、つまり、「なんだ、記号論か」と思われもするし「ほほう、こんなふうに記号論を」と思われもする。これはそのまま、作者の、この劇(ドラマツルギー)に特攻した冒険でもあり、反面手さぐりでもあり、逡巡や混乱ともなったようだ。つまり、下駄だ。その高さのぶん、よろめき、ふらつくのは無理もナイ。だから、最低観客(なんだか、つまらんコントだなというふうに観ている客)にも、多少のサービスをしたり、筆休めにほんとにコントを入れたりしているのだが、そんなものは、差し置いて、私は、ちゃっかりコンテンポラリー・ダンスとのコラボは盗もうと思う。これは、予想外の収穫だと、作者自らも告白しているが、原和代のeroticismは、ヒジョーに中性的な身体をコトバ(せりふ)の横っちょで紡ぎだしている。いわゆるPlatonicなのね。この冒険と挑戦を林慎一郎はもう少し続けてイイ。劇そのものは、ノアの方舟の登場で終わったから、次は『ノアの方舟』を銭湯にでも浮かべてもらおうかな。まあ、下駄の高い芝居でした。
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