無料ブログはココログ

« I am a robot | トップページ | 死んで貰います »

2010年11月 1日 (月)

くどいやうですが

「演じる」「演技」「演技力」はそれぞれチガッタものだ。そういうことは何度も書いたから、くどいようだが、暇つぶしに書いておく。昨日「精神力」というコトバを用いた。「心理」というもの対比してだ。およそ「心理」というコトバほどあやふやで漠然としているものはナイ。コトバは完全だという命題でいえば、「心理というコトバは完全にあやふやだ」。だいたい心理学事典にその「心理」という項目がナイというのはどういうことなのだ。いったい心理学というのは何を学んでいるのかしらん。「精神」は目の前に取り出せといっても不可能だ。しかし「精神力」というのはその作用だ。何故なら「力」(energie)だからだ。ということは「運動量」だ。位置と運動量の積を物理量と称する。つまり、「精神力」といのうは物理的なenergieであるから、数学的に表現出来るものだ。要するに数式に書けるということになる。(注・心理力などというコトバはナイ)。そうするとrobotの演技もまた「演技力」として運動量に可換されるenergieなのだろうか。それはまったくチガウ。robotのenergieは「意識」とは何の関係もナイからだ。robotのenergieは電気(electriciteit)であることなど、子供でも知っている。だが、精神力は、[意識]のあるところにしか作用しない。(もちろん、火事場の馬鹿力という無意識も含んで)。具体的にいえば、「さようなら、またあいましょう」という台詞があったとする。(耳にhandicapがある者を除いては)役者はこの台詞を口にしたとき、自分の耳でそれを聞くことになる。ここに一つの[意識]が生ずる。これは自然の過程(process)だ。かつまた、それが観客にどのように聞こえているかという[意識]を持つ。これも自然の過程だ。ここに用いられるのは「心理」などではナイ。これを「精神力」というのだ。生理学的にいえば、これだけで、脳はenergieを消費するので、糖分が代価として失われることになる。音声による発声というのは肉体における消費だからだ。そのぶん、せりふというコトバが生産されることになる。これは、まったくの運動量だから、calorieでも表すことが出来る。単純に生理学的にこの消費されたcalorieを補うためには何かを食せねばならない。脳というものにおいては、そういうことをいうだけで充分だが、意識はココロの作用だから、基本的に生理的なものと運動量がチガウ。身体において生理的でナイ物理的な運動量を求めようとすると、どうしても、量子力学に踏み込むしかナイ。量子力学においても、運動量は微分の演算だ。「演技」というものは微積分で捉え得るものだ。簡略にいえば、その瞬間の動作(瞬発力)と、積み重ねの動作(稽古の鍛練)の二つで、役者の演技は創られているからだ。もっと異なった表現を用いれば、役者の演技というのは、存在(位置・質量・potential)と動き(運動量・速度)の積としての物理量だ。これは、シュレーディンガーの波動関数にも関係する。こういう演繹的な考えをもってすれば、量子力学は、演技というものを論じる場合に有効であるということがワカル。「さようなら、またあいましょう」をせりふにする場合の、身体(音声)としてのコトバ、その動き、それらが、何故役者10人いれば、十人十色なのかは、存在と動きの積による物理量によってそれぞれが異なるからだ。(この場合の存在と動きとの関数はとりあえず括弧にいれてある)。このenergieを「精神力」と称してマチガイはナイ。

« I am a robot | トップページ | 死んで貰います »

演劇」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/558792/49904186

この記事へのトラックバック一覧です: くどいやうですが:

« I am a robot | トップページ | 死んで貰います »