ヘタルタヘル
ゆんべはラジオで11時の時刻お報せを聞いて就寝、今朝8時30分まで一度も起きないで眠った。こんな具合に9時間余眠ったのは10年ぶりくらいかな。それでも、休養とばかりに昼間は赤ワインを一杯やりながら『漫画家残酷物語』(永島慎二)の完全復刻版(とはいえ、元原稿がナイのだろう、コピー印刷だ)を読んで、ああ、そうだなあ、ちょうど14~17歳の頃、永島マンガに出てくる少女(女性)に恋をしたなあ愛したなあと、感慨しきり。これが無意識に眠っているがため、いつも私は恋に失敗し、現実の愛がナンなのか、ワカンねんだなあと、ため息もまたしきり。それからまた3時過ぎまで眠った。しかし、宿痾の鬱病は、眠っても治らない。出来るだけ母親に気づかれないようにして、今夜はたら鍋。母親が相撲中継を観ながらナニかいってるんだが、どうでもイイので、生返事ばかりが出てくる。背骨に鉛が一本くい込んでいて、息苦しいのは、鬱病の身体症状の私の場合の特徴なのだが、へたっても耐へなければしょうがナイ。俳優マツケンの奥さん自殺のニュースを聞いたときも、「鬱病でしょ」とぼそっといったんだが、そのとおりで、イジメとやらの自殺にしても、要するにイジメによってうつ状態となって死ぬワケよ。何故なら鬱病というのは、[積極的に死のう]とすることによって疎外を打ち消そうとする病だからだ。よくいわれる「パニック障害」というのは病名(疾病)ではナイ。あれは状態(症状)のことをいう。疾病(病名)は「心臓神経症」だ。私の経験する限りにおいては、症状である鬱病の疎外とは、自身の[心]と[身体]が環境世界に対して強い異和を強いられ、疲弊の極みに落ち込むことだ。この場合、環境世界は、私の心と身体に対して[消え去る]ことが最も楽だと脅迫する。これが、一つの症状(状態)であって、ふつうの疾病のように「治って生きたい」という状態を心も身体も逸脱する。ただ、「楽になりたい」という漠然とした欲求だけが、心と身体を導いていく。これは「心の風邪」でも「気の持ちよう」でも、まったく、ナイ。いうなれば、自然なprocessのようなものとしてやってくる。だから、私の場合は、不自然な(意識的な)仕事をscheduleしておく。・・・まだ、とば口だから、今度もうまく誤魔化すしかしょうがナイ。
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