満身創痍であるからは
地下鉄都営新宿線の森下、ここにあるbusiness hotel集落の一軒、家族でおやりになってる小さなホテル、流山児との二人芝居の稽古、15年も放っておいたカラダにはキツイのなんのねえ。こういうのを「老骨に鞭打って」というんでしょうか、それとも「満身創痍」ですか。とはいえ、大西一郎くんところのネオ・ジェネレーター・プロジェクトの芝居は観た。下北沢に新しく出来た超小劇場。舞台の真ん中にセメントのでかい角柱があるからなあ、どうしても、客席を二分しなければならない。が、この角柱をこれ以上の活用があるのかという舞台美術への取り入れで、onesituationの、インディージョーンズ香港映画全盛期版。これがもう、オモシロイ。ひさしぶりですよ、目を開いたまま演劇観たのは。いつもは聞いてるだけなんだけど。劇団じゃナイのに、このアンサンブルの良さはどこから来るのか。関西の役者にも負けず劣らずの役者の芝居。戯曲のコネタと演技の小技が効いてんの。徒党だな、やっぱ。演劇なんてのは徒党を組んで悪を成すでナイとやれないヨ。・・・旅籠でね、本多美奈子のセミドキュやってたな。こういうの泣くヨ。泣かせるために創ってあるんだけど、こういうのは乗るんだ。仮退院の日、nurse stationでお礼に歌ったアメージング・グレイス、これに、偶然同じ病院に事故で重体になって入院してきた岩谷時子さんが、歌詞をつけたってんだな。二人は母子同然のつきあいだったんだって。泣きますよ。悔しかったでしょう。再度舞台に立ちたかったでしょう。美奈子ちゃん。あたしゃ、ファンという類じゃないけれど、その悔しさはワカリマス。これまた偶然なんだけど、次のavecビーズのラストシーンのせりふを書き換えたの。で、音楽を指定したんだ。森山良子さんが歌ってるアメージング・グレイスをね。東京に来る前日にね。だから、もう、ユングのシンクロニシティだよね。・・・しかし、老骨、満身創痍は脳が誤作動するほど(一度、立ち位置positionが変わったら、まったく集中力が途絶えて、何度やっても間違える)だからなあ。私ゃ流山児のダンナと違って、analog(音声-耳)でせりふを覚えていない。digital(コトバの羅列-目)で覚えているから、ちょうどロールするように、頭ん中に字が出てくるのを声出して読んでるの。だから心理とか感情とかは逆流すると邪魔なので、そうならないようにしてんの。つまり雰囲気だけを創ってるワケですよ。で、カラダのキツサはですね、私の役は弁護士なんですがネ、そういうカラダの弁護士だってことで了解しちゃうのネ。一日働いてクタクタの弁護士。これも一種のカラダの使い方ですよ。せりふは何カ所か落します。しかし、pointは落してナイから、まあ、どうでもいいようなせりふを落してるだけだから、いいんですよ。ただ、繋がりがネエ。えっ、俺が繋ぐの、たしか、繋ぎのせりふがその前に出てくるんじゃなかったっけ、てな具合。どっちかが繋がりを落すと、相手が苦しい。これが二人芝居かなあ。とはいえ、なんだか自身の演技論を実践してるみたいで、けっこう理屈のほうにも自信持てましたね。これ、収穫。さあ、もうクタクタで、明日は伊丹で塾。悲鳴をあげてるカラダを引きずって、満身創痍。
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