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2010年11月28日 (日)

ひとはパンの耳にあらず

『必殺仕事人』を頭からずっとTUTAYA DISCASの宅配で借りて観ている。故人藤田まことさんの代表作時代劇なのだが、これは『必殺』シリーズの後半期に該る。前期に『必殺』は名作が多いのだが、茶の間に受け入れられるようになって視聴率が安定したのは、このシリーズからだ。『必殺』のレアなファンはなんといっても、『必殺仕置人』と『新・必殺仕置人』、それと『からくり人』『必殺必中仕置屋稼業』を上げるだろう。前作の主役は藤田まこと(中村主水)ではナイ。山崎努(念仏の鉄)だ。『からくり人』は一話完結であるが、全13話を早坂暁が書き下ろして、別の殺し屋組織「曇組」との闘争を描いている。作品に挿入される(おそらく歌詞がつけられる予定であった哀切なmelody)は、私も自分の舞台で使った。また、最終回前の12話は、泣きたいときに観ては泣いている(何度観たことか)。後者は殺しと博打を結びつけたもので、いまではたぶん、製作不可能だ。この中の一話では、まったく殺しのナイものもあり、かなり芸術的、フランス映画に近い創られ方が施されてある。で、『仕事人』は全84話あるもので、初めて三田村邦彦が簪屋の秀で登場する。たぶん、秀が女性と褥をともにする話があるのは、このシリーズだけだ。相手は、吉田日出子さんだ。「ね、私、きれい。女として」火事で孤児となった多くの子供の面倒をみるために、ゆすりを働く髪結いの女役だ。秀は、きれいだよと返事する。辻斬りに腕を斬られ、気を失っているところを、彼女に助けられたのだが、事情を知るまではゆすりのこの女性を軽蔑していたのだ。「じゃあ、抱いて」と女がいう。私は泣く。・・・・一作45分だから、たいてい一日2本観るが、この『仕事人』で鮎川いずみのお加代も元締め(六蔵・木村功)のつなぎとして初登場する。昨日観た一本は、幼い子供が両親を金貸しに殺された恨みをはらしてやるのだが(このあたりも、いまのテレビでは、創れないな。金貸しのスポンサーが多すぎる)、仕事人の一人畷左門(伊吹吾郎)が表の仕事のおでん屋で、自分の娘におでんを食べさせるシーンをお加代がふっと観るカットが入る。母性的なカットだが、ほんの数秒のカットだから、プロットになるとは思わなかった。が、これがプロットとして生きてくる。同じ目で、両親を殺された子供を観るのだ。せりふは一切ナイ。「語り得ぬものには沈黙を」だと、気障なこといってんじゃねえヨ。「沈黙」ほど多く語るものはナイことを、私たち表現者は知っている。この映像、三つのカット。これが、この一話のプロットとテーマをことごとくいい尽くしている。で、私は、また泣く。毎週一本製作に追われての現場だ。ワンカットに時間がとれるワケがナイ。(余談だが、劇場版の『黄金の血』は、撮影がスタートしてもホンが上がらず、助監督ですら、現在、ナニのどのシーンを撮っているのかワカラナカッタそうだ)。断っておくが、幼童期、父親の暴力や母親のleakの虐待にあっても私は一度も涙をみせたことはナイ。それだから「可愛げがない」と、なおさら殴られた。しかし、創作表現の巧みさには惜しみなく泣くのだ。哀しみのナイ表現など、存在する価値はナイ。

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