死んで貰います
東京の「耳かき店員ら殺害」で、裁判員は死刑を回避して、無期の判決を出した。私が裁判員なら、間違いなく死刑だ。理由は単純だ。遺族がそう懇願しているのだから。裁判員に選ばれた人たちは、格ミサイルの発射ボタンを押す権利を委託されたワケではナイのだから、そんなに気に負わなくてイイ。無期にした理由が「被告の内省を期待」なんてのは、裁判員が自らの重圧から逃げただけで、責任回避としかいいようがナイ。「第三者の視点に立って」判断した、てな感想も裁判員の一員から聞かれたが、裁判員には第三者などもともと無い。あるのは自らの倫理の決断だけだ。私はふと、遺族の誰かがこの判決を不服として、関わった裁判員をすべて殺していくミステリを妄想した。しかし、こんな問題の多い(みたいな)制度を設けるならば、評論家の呉智英氏が提唱する「仇討ち」を復活させるほうが、スッキリしてイイ。
尖閣諸島に今度は北方領土と、きな臭くてかなわない。ここぞとばかりに、日中もし戦わば、やら、日本にはもはや核武装しかナイ、やら、たった一人の命をどうするかで、6人の無辜の民が苦渋しているときに、タカ派だか、右傾だか知らないが、その手の論客がいいたい放題だ。臥薪と嘗胆、司馬遷の『史記』にある呉の夫差、越の句践の故事を合わせて持つ臥薪嘗胆を知らないワケでなし、外交とは戦争(クラウゼビッツ『戦争論』)なのだ。私は民主党の外交(や内政)をけして支持しないが、大国の奢りや、弱みにつけ込む足払いななと放っておけばイイ。弱腰を柳腰といい、それは意味が違うと詰問し、そういうアホな(もとより政治家などに期待はしていないが)国会で幻滅するのだけはうんざりだ。
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