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2010年10月17日 (日)

シーシュポスはかく語りき

カミュは記す。「ホメーロスの伝えるところを信じれば、シーシュポスは人間たちのうちでもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。しかしまた別の伝説によれば、彼は山賊をはたらこうという気になっていた。ぼくはここに矛盾を認めない」・・・もちろん、私も矛盾を認めるものではナイことは告知しておく。なぜなら、私は聡明でこそなかったかも知れないが、慎重ではあったし、とはいえど、いくら慎重に生きても失敗というものは避け難いゆえに災難であるのだということを学んだし、そうして山賊のようなマネもしたからだ。

さて、シーシュポスは、地獄の刑罰に身切りをつけた。岩などどこへでも転がっていくがいい。神々の怒りか、その怒りもてひとびとを恐れさすごとく、愛をもって人々を受難から解放すべきではないか、と彼はアタリマエの結論をくだし、神々に三行半を献上し、「あなた方はトレードだ」と宣告したからだ。

シーシュポスはいう。「私の死にぎわにおいて、我こそはあなたの手を握り、腕をささえ、カラダを抱いて、あなたへの歌をうたえる者です。という私への誓いなどはせぬほうがイイ。それこそは、私に権力という、悪のclimaxをもたらすものだ。私はそのような権力を否定するし、その否定のために、ここを離れるのだから」と。

また彼はいう。「私のことを狂人と思い、私のなすことを狂気ゆえの営為と判じる者は、その狂気こそは、あなた自身のココロの反映でしかナイと知るべきだ。自らを省みぬ者、自らを強きものとして任じている者は、それが砕け散ったときの恐怖におののくだろう。まず、あなたは、あなた自身の強さを否定するべきだ。あなた自身の弱さの肯定にいたる否定を術に出来たとき、あなたは、あなたの地獄の刑罰から解き放たれるだろう」

彼は続ける。「私をアテにするな。そのぶん、私を救おうとしたり、私を導こうなどと思うな。私のことなど放っておく勇気を持て。私のココロもカラダも、占められるものではなく、また動かせるものでもナイ。私は、地獄の刑罰で、永劫の時間、山頂に岩を押し上げていくとき、この岩は何なのかと熟考した。絶望か、虚無か、重圧か。そうしてそれは、私への愛であるという呪文のようなコトバを聞いた。愛というのは、私にとっては、この岩なのだと気づいたのだ」

さらにつけくわえて彼はいう。「愛というものは、神とひととのあいだの密約として、そういう族にまかせておけばイイのだ。私に必要なのは、私を私たらしめる[仕事]だ。それがたとえ愛というものに化けようと、私の知ったことではナイ」

それから彼はこうしめくくった。「私は私の[仕事]に生きて、[仕事]に死ねれば、充分生きたことになる。さあ、私は私の[仕事]をみつけにいこう」

いい終わると、彼はしばし黙した。

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