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2010年10月24日 (日)

『寿歌』最後のなぞ

拙作『寿歌』はナゾの多い戯曲で、この作品を書いた当初、私自身ナニを書いたのか、まったくワカラナカッタ。それが、岸田戯曲賞の候補となって、私は大いに慌てた。また、あっちでもこっちでも、プロ・アマ問わず、公演があり、私もマスコミからのインタビューを受けたが、ただ「これは、核問題とは一切関係ありません」としか答えようがなかった。それから幾度も自らの劇団で公演を重ねたのは、この戯曲がナンナノカ、知りたかったからだ。そうして、15年めにして、私はやっとこの戯曲が理解出来た。ある一部分を除いては。その一部分というのは、ヤスオ(ヤソ)を中心にゲサクとキョウコが横に並ぶように舞台に立って、遥か向こうを眺めている、それだけのシーンに、泉谷しげるさんの『夜のかげろう』の頭の部分を楽曲として用いたことだ。それがどういうワケか、ピタリとはまるのだ。これは、私の嗜好の問題だと思っていたが、実は、そうではナイ。この最後のナゾは、最近になって、やっと解けた。これは、イエス・キリストに向けて、歌った女の愛の恨み歌だったのだ。そう思って聞くと、なるほどと思う。以下に、著作権無視で、歌詞を書き記す。たぶん、理解いただけるはずだ。(歌詞のなかの「女」は「ひと」と読む)

あなたが死んだのをきいたのは ずいぶんしばらくしてからさ

きけば たずねる人はなく となりの人は名前さえ知らず

あなたに泣かされた女もいる あなたと死のうと思った女も

なのにあなたはいつだって 弱いところをみせなかったわ

ばかだね ほんとにみじめだね 世わたりじょうずの人だったのに

まじめに女をだますから かげ口ばかり たたかれて

あなたのことは忘れてたから 死んだことはそれほどじゃない

それほどじゃないから 腹がたつ

忘れるだけ 忘れてやる

(一部関係ナイと思われるところは割愛した)

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