シーシュポスはかく語りき・3
シーシュポスはこう語った。「私たちがふだん用いている、共通のコトバの概念(category)、規約(rule)、規範(model)によって、私たち自らが縛られていることに、私たちは殆どまったくといってよいほど気づかないでいる。そのようなコトバによる縛(疎外)から逃れるため、さらに、それを克服するために、私たちはまず、自らのコトバを創造していかねばならない。それらは、名詞で語ることは難しくとも、こう、いい替えることで可能だ・・・これでもナイし、あれでもナイ・・・およそ、般若心経の作者は、[智慧]ということにおいて、そのドラマツルギーに通じていたのだ」
彼は続ける。「処世に算盤を弾いても、結果が惨憺たるものであることは、歴史がこれを教える。いくら算盤の珠を強く弾いても、ついには算盤が砕け散ってしまうだけだ。では、どうすればよいのか。答えは実に簡単だ。処世に算盤を用いなければ、それでイイ」
彼はまたこういう。「答えが同じであれば、その手順が単純であるほうが価値がある。いわゆる[オッカムの剃刀]と数学で称されているものだ。それは、日常的にいうなら、ちょうど電車の乗降にカードを使うのと同じことだ。しかし、その手順に辿り着くまでは、幾度も路線図と運賃表とを交互にみてticketを買うという、複雑さを経験しなければならない。単純な価値を手にいれることは簡単なことではナイのだ」
また彼はいった。「即決の前には、重層な考えが長くあるものだ」
そうして、シーシュポスは、いつものように、黙して座った。
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