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2010年10月14日 (木)

『どちらかが彼女を殺した』を読む

タイトルのごとく、読んだのだ。さすがに、前回レビューを書くに扱った作品から5年を経て、作者(東野圭吾)氏の成長がよくワカル。やっぱり、書き続けるというのはタイセツなことだ、し、書き続けられるというのは、それ相応の作品を次々に書いていったのだという、ミステリ作家の苦労もよくワカル。(本場英国の女性ミステリ作家の殆どはアルコール依存だって聞いたからナ)。ミステリ作家にならなくて良かった。・・・とはいえ、戯曲ではたしか二本、小説でも数本書いているんだけど、当方は鳴かず飛ばずだな。・・・で、私は文庫で読んだので、解説(真犯人へのヒント)が袋とじになっている。本文を読んで、真犯人がワカッタつもりになっていた私は、この袋とじを開いて、ウーンと、矛盾に陥ってしまった。ネタバレとかいうのになると困るので、詳細は書かないが、何回読み直しても、ワカラネエ。そこで、Googleのお世話になって(たぶん、そういうことが問答されているだろうと思って)、うん、あるある。いっぱいある。で、真犯人は、私の判断と違いはナイ。しかし、こういう右利き、左利きを真実の判断にもちいるのは、極めて証拠として弱いような気がするんだけどなあ。まあ、いいや。一応、論理的にはスジは通っているんだから。しかし、論理なんて、いくらでも論理で引っくり返せるんだけどなあ、都筑道夫(故人)のいう「論理のアクロバット」だ。それが、こんなにイイ構造で描かれている、実に丁寧なミステリに欠けている、私の贅沢な不満。矛盾しているのは私の心理(このコトバ、嫌いなんだけどネ)なんだな、きっと。

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