哀愁のヨーロッパ
木枯らし1号とやらが昨日強く吹いて、今日も寒い日になった。母が昨日、今日と続けて昼間留守にするというので、昼飯は体力回復のためにこっちも二日続けて一人しゃぶしゃぶ、200グラムの肉を食った。実家はオール電化なので、中華鍋料理をやっててきた私には、どうも扱いにくい。湯だけ沸かせば足りるしゃぶしゃぶがちょうどいい。ともかく体力を回復しなくては、と、肉を食う。仏教でも五種浄肉という、肉を食べてもいい条件があり、病気の者、体力の劣ってきたもの、養生しなければならぬ者には、肉を食わせた。(他には、乞食のときの布施に肉が入っていた場合はこれを食してもよい)。二人芝居の稽古に間に合わせるように体調を回復させねばならない。カラダの具合の悪さは母には内緒で、ただ飯食っている身としては、心配をかけたくはナイ。いつもよりコトバ数をわざわざ多くして、平気な顔をしている。夜は、鍋なら私にも電化台所でつくれるだろうと、適当に鍋をつくってみた。近所(歩いて1分)のマーケットで鰯のつみれを買って、アトは安い野菜を適当に仕入れて、それがこの家ではイチバン大きな鍋だという、ふつうの家庭なら味噌汁をつくる程度の鍋で、うどんのだし汁を使って鍋をつくった。母は、そのマーケットに鰯のつみれ(冷凍食品)が売ってあることすら知らなかった。鍋など、ここ5年は食べたことがナイという。父がまだ存命のとき、めずらしくゴーヤチャンプルをつくってみたら、父に「こんなゴッタ煮のようなものは食えん」といわれたそうな。断っておくが、私は親孝行をしていることを述べているのではナイ。そんなものは私の辞書にはナイ。寒い日に、鍋をつくって食えれば、美味いだろう、温まるだろうというのは、特異な思いではナイ。私にとってはそれだけのことでしかナイ。小食の二人では、小さな鍋も残ってしまったが、それは、明日の朝、いつものように残り物として母が食べるのだそうだ。「昼は、焼き飯でええな」と母がいう。「そんでええ」と私が答える。・・・夜はかなりキツイが、今夜もサンタナの『哀愁のヨーロッパ』を聞きながら、苦いビールを飲む。途中何度も吐きそうになると、胃薬を飲みつつ、ウイスキーを一杯飲んで、吐き気を抑える。それでいっちょ上がりで寝る。
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