夕陽の丘
さすがの猛暑も、夕方に吹く風は涼しくなって、丘陵をおりたあたりにある実家には、山間から飛んでくる赤とんぼの姿も観られるようになった。少年のころ、その、目をみはるほどの群れに坂道で遭遇した経験は、記念すべき私の『新劇』最初の戯曲の中に書かれている。そこに私は、「赤とんぼこそ、夕陽の忘れ形見、夕陽の素粒子なのです」というふうに書いたはずだ。このillusionは、私のその後の演劇(戯曲)の傾向をすでに決定づけたといってイイ。いきなり余談だが(といってこれ全体が余談なのだが)、私はillusion magicというものはあまり好きではナイ。つまり、あんなものは銭をかければ出来るじゃないかとシラケてしまうからだ。これもまた、舞台装置(舞台美術)に大枚の銭をかける芝居を好まないのにつながっているといえばそうに違いない。このあいだは、中津川のセミナーで、敷物がパッチワークで出来たので、100万円で済んだという話に、ちょっと驚いたが、隣でそれを聞いていた劇作家のTくんも「100万あったら、芝居そのものが二本出来る」とこぼしていたのに苦笑した。ちなみに『寿歌』で使った敷物は、輸送用トラックの幌の縫い合わせで、これは、もちろんタダだった。かつ初演では、照明の灯体も4基しか使っていない。銭がかかったのは、最後に降る雪で、素材は紙テープなのだが、三角形に切る作業の人件費をもし計上したとしたら、かなりの額になっていたはずだ。この作業は、公演を重ねるたびに劇団員総出でつづき、数万枚の紙の雪吹雪となって舞った。一度だけ、私は、舞台終了後、挨拶に立って「この雪は世界でイチバン美しい雪です」といいつつ、不覚にも落涙したことがある。かくなるごとく、私の生きてきた世界は、そのものがillusionのようで、実生活では、不謹慎、不真面目、人非人、悪人、女衒、欺瞞家、詐欺師、姑息、どういわれてもアテハマル体たらくだったが、これは生きるのが不器用なだけだったのだと、さらに誤魔化している。基本的には(こんなことをいうとまたfeminismのかたに叱られるが)女々しいのだ。ふつうの男性なら、素通りすることにも躓くと、もうナニに躓いたのか、答が出ようが出まいが考えなくては気がスマナイ。で、粘ることだけが信条で、そんなことを繰り返しているうちに、それがせいで鬱病になり、いっそう女々しくなってきただけだ。べつに深謀遠慮とはナンノ関係もナイ。今日は夕陽だ。夕焼けだ。また明日から、旅寝の空だから、イイワケに過ぎないこんな文章を残して、それじゃあ、また1週間ほど。(ツイッター程度のものなら発信しますがネ)
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