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2010年10月

2010年10月31日 (日)

I am a robot

あるひとが、ロボットが演劇をするのを観たらしく、また、平田オリザさんの演技論に動揺?したらしく、私にこういう質問をした。「オリザさんの演技論では、役者はせりふをキチンと喋っていれば、内面(ココロ)はどうでもイイということなんですが、どう思われます」。そこで私はこう答えた。「そんなことはどっちだってイイことですよ。たぶん、オリザさんがいっているのは、役者の[心理]のことでしょう。役の心理というのかな。そんなものはナイほうがイイと私も思っています。そんなもので役を創らないほうがイイとも思っています。しかし、[精神力]というのは否定出来ません。役を演じるのには精神力は必要です。もし、それが要らないという証にロボット演劇が成されているのなら、それはオリザさん特有のテキ屋のペテンで、そんなことは彼がイチバンよく知っていることでしょう」。ココロとカタチについては、いまに始まった論議ではなく、遠く、名人五代目菊五郎と九世団十郎の芸風の違いについて、当時、萌芽の時代だった新劇界も論争したらしい。なんだか知らないけど、雨後の竹の子のようにいろんなワークションプがあって、なんたらメソッドやら、かんたらsystemやら、盛んなようだけど、そういうのも否定はしないが、そんなヒマや銭があったら、『役者論語』を読んでいるほうが、100倍くらいは芸のなんたるかについては学べるってもんです。

で、たら鍋

1日2錠の降圧剤を1錠で処方され、アトはβ-ブロッカーを25㎎(本来は50㎎)で過ごしてきたのだから、降圧剤にプラスして、1日1錠で処方される強い降圧剤を服用していたために心臓への負担は限界にきていたようで、ここ三日ばかりのしんどさは、それのせいだった。というワケで、拍動は治まって、ゆんべはぐっすり寝たし、昼寝もぐっすり出来た。久しぶりに休んだ気になった。で、夜はたら鍋。明日は弟が帰還するので、しゃぶしゃぶということに決まっている。弟は52歳になるが、しゃぶしゃぶだと、肉を500gram食べる。私も頑張って250gramくらいは食べるけど。弟はさらに丼飯の大盛りだ。私は茶碗に軽く一杯。母の話では、いつぞやは次の日に残りの肉で別の料理をと考えていて1㎏近くを出したら、全部食ってしまったそうだ。弟は、京都の観光客相手に狂言を部分的に演じているが、年収は4万円だとか。月収ではなく、年収だ。家賃の1万円と、電話代は、いまだに母が出している。月に一度は帰還する約束になっているが、洗濯物の山とともに帰って来る。風呂は最後に入ることになっている。なぜなら、お湯が黒ずむからだ。とはいえ、母親の日課のパソコンゲームのために、パソコンのメモリを増設したり、配線したり、その方面のことはやれる。文庫を熱心に読んでいるが、いわゆるコミックを活字にしたあれである。『グインサーガ』だけは全巻読んでいるようだ。酒はたしなむ程度、煙草は吸っているが、どうやって煙草代を捻出しているのかは知らない。このあいだ、「かんぽ生命」の情況案内が送られてきたが、母が月々230円ばかりをかけて、死んだら100万円にプラスして幾らか、合計150万円ほどを受け取れる。その受取人が私だったので、母親に弟に受取人の名義を変えるようにしてもらった。私は両親から500万円の借金がある。現在の家の不動産価格が350万円なので、それも、弟に渡すとして、チャラにするつもりだ。残りの動産は、母親の老後資金を賄うのに使う。年金暮らしが続くとして、介護が必要になってきたら、10年はなんとかなる。銭かねは何も残らぬ、何も残さぬ。書いたもの、書かれたものが残れば、ほんの幾つか残れば、それでヨシ。

2010年10月30日 (土)

たら鍋中止のいきさつ

母が鱈をもらったというので、今夜はたら鍋にするかと思い、春菊ともやしと椎茸を買って、準備はしておいた。しかし、どうも、体調がよくない。ここ数日、心臓の具合がだ。血圧を計測すると、血圧自体は正常なのだが、脈拍がやけに多い。妙だなとは思っていたが、今日は、脈拍が過去最高値の146だ。これはヘンである。鬱病のせいでも、他の精神神経系統の疲れでもナイ。いくら寝ても疲れがとれないのも無理はナイ。ここ数日120以上の脈拍だったから、具合の悪いカラダで全力疾走していたようなものだ。そこで、これは何かの副作用に違いないと、血圧のクスリを点検した。先月から、50㎎を半分にcutしたものがシートで25㎎の錠剤になったのを服用していたのだが、副作用などなかった。しかし、よく調べると、クスリがチガウのだ。ありゃっと、これはと、で、調べるといつものβーブロッカーではなく、強い降圧剤とある。副作用に動悸がある。ああ、こいつか。今月後半から飲み始めて、それでこれか。先月までのは正しくβ-ブロッカーだ。大急ぎで、名古屋に出向いて医者に飛び込み「クスリをこれまでのものにもどして頂けませんか」と、角がたたないように頼む。処方のミスか、調剤のミスかなどではナイ。私自身が、確かめることなく服用したのが最もイケナイ。しかし、心臓が疲れ果てて死ぬ前に気がついて良かった。というわけでたら鍋は中止になった。解毒と強心のために、レオピンをいつもの倍、飲む。10カプセルだ。これって含まれているゴオウの成分は、例の心臓薬「救心」の80倍の効力がある。なんしろ、1gram1万円だそうだからな。やっと、今日からは、心臓を休めて眠れる。ふーっと一息。即断即決。

2010年10月29日 (金)

今日の鍋

今夜は豚と白菜、もやし。出汁は、うどんスープの素。ストレート・スープに人気があるらしく、えらく種類も増えて出回っているが、3~4人前というのは多すぎるので、うどんスープの素を使う。仰々しくナントカ出汁とかいろいろ書いてあるストレート・スープと差などナイのだ。うどんスープの素なら、8袋入りで2袋を使えば充分だ。母親はその鍋に今夜もご満悦。「作ってもろて食べるのが、またええわ」とはいうが、冬の料理は簡単だ。週5日は鍋でいける。アトは母親の漬けたひの菜漬け。これは関西特有のもので、やや辛味があって、ご飯にまぶすと美味しい。もちろん、茶漬けにもあう。私が小中学生の頃、朝飯といえば、両親はこのひの菜で茶漬けをかきこんで、出勤した。もちろん、私のために朝飯など用意されたことはナイ。あの頃の私の夢は、一度でいいから、朝の味噌汁というので飯を食うことだった。私は朝も昼も、適当に台所にあるものを調理して、食っていただけだ。昼にゆんべの汁が残っていたりすると大助かりで、雑炊にして食った。何もナイときが多かったので、そういうときは、飯にバターをまぜて醤油を垂らし、バターがナイときは、醤油だけで飯を食った。あの頃は、どこも貧しかったから、特別に自分だけが貧しいものを食っている感じはしなかった。残り飯があるだけでも助かった気になった。インスタントラーメンが登場すると、これほどありがたい食品はなかった。・・・今日も咳が止まらず、咳止めを二度も服用した。咳とともに不整脈が出るのが病態なのだが、これは気持ちのいいものではナイ。半ば鬱病気味なのだが、バレないようにしながら、テレビでやってた女子バレーの解説なんかを母親にしてみた。母親は私が中学生の頃、バレー部にいたことをすっかり忘却していた。さて、今夜もキツイ夜になる。そういえば、ゆんべはいっぱい夢をみた。劇団『青い鳥』の芹川さんが、幸福そうに笑っていた。みると客席にほとんど客はいない。また、若い頃の両親が揃って出てきた。これは初めてだ。アトは、本番の途中で声が出なくなるなんてのも、あった。他にもたくさんたくさんあったが、もう記憶にナイ。急に寒くなったので、血圧の変動が激しく、こいつもキツイ。今夜も吐き気を抑えるために、ウイスキーを一杯やっか。

2010年10月28日 (木)

今夜の鍋

テレビのニュースが、今年の冬は餃子鍋が流行りそうだとかいっているのを聞いて、母親が、そんな鍋があるのかと驚いていたので、今夜はギョーザ鍋を作った。鍋ほど簡単なものはナイ。水餃子用の餃子は値がはるので、普通の餃子を購入。アトは、韮とえのき、それだけ。スープは、市販の「鶏ガラスープ」で充分。市販のそれの配合で最も多く使われているのは食塩だから、間違っても、塩を足したりしてはいけない。勘でスープを作って、韮とえのきと餃子を入れ、煮えてきたら、玉子を二つ落す。この玉子が煮えたあたりで出来上がり。母親はたいそう喜んで、「こんなものを食べるのは、初めてや、美味しいな」といってくれたが、餃子というのは、中国料理にはナイ。もともとは、中国の貧しい民が、野菜くずと肉くずを餃皮で包んで焼いたり煮たりして食べていたのだ。あの「王将」が中国に進出したとき、中国人にはまったく受け入れられなかった。苦肉の策で、これを鍋に入れてメニューにしたら、やっと売れたとのこと。「あったまるな」「鶏ガラスープ以外は、何も入れてへんのけ、へーえ」という、母親は、料理が苦手なのではナイ。料理を知らないのだ。従って、母の味などというものを私は知らない。

2010年10月27日 (水)

哀愁のヨーロッパ

木枯らし1号とやらが昨日強く吹いて、今日も寒い日になった。母が昨日、今日と続けて昼間留守にするというので、昼飯は体力回復のためにこっちも二日続けて一人しゃぶしゃぶ、200グラムの肉を食った。実家はオール電化なので、中華鍋料理をやっててきた私には、どうも扱いにくい。湯だけ沸かせば足りるしゃぶしゃぶがちょうどいい。ともかく体力を回復しなくては、と、肉を食う。仏教でも五種浄肉という、肉を食べてもいい条件があり、病気の者、体力の劣ってきたもの、養生しなければならぬ者には、肉を食わせた。(他には、乞食のときの布施に肉が入っていた場合はこれを食してもよい)。二人芝居の稽古に間に合わせるように体調を回復させねばならない。カラダの具合の悪さは母には内緒で、ただ飯食っている身としては、心配をかけたくはナイ。いつもよりコトバ数をわざわざ多くして、平気な顔をしている。夜は、鍋なら私にも電化台所でつくれるだろうと、適当に鍋をつくってみた。近所(歩いて1分)のマーケットで鰯のつみれを買って、アトは安い野菜を適当に仕入れて、それがこの家ではイチバン大きな鍋だという、ふつうの家庭なら味噌汁をつくる程度の鍋で、うどんのだし汁を使って鍋をつくった。母は、そのマーケットに鰯のつみれ(冷凍食品)が売ってあることすら知らなかった。鍋など、ここ5年は食べたことがナイという。父がまだ存命のとき、めずらしくゴーヤチャンプルをつくってみたら、父に「こんなゴッタ煮のようなものは食えん」といわれたそうな。断っておくが、私は親孝行をしていることを述べているのではナイ。そんなものは私の辞書にはナイ。寒い日に、鍋をつくって食えれば、美味いだろう、温まるだろうというのは、特異な思いではナイ。私にとってはそれだけのことでしかナイ。小食の二人では、小さな鍋も残ってしまったが、それは、明日の朝、いつものように残り物として母が食べるのだそうだ。「昼は、焼き飯でええな」と母がいう。「そんでええ」と私が答える。・・・夜はかなりキツイが、今夜もサンタナの『哀愁のヨーロッパ』を聞きながら、苦いビールを飲む。途中何度も吐きそうになると、胃薬を飲みつつ、ウイスキーを一杯飲んで、吐き気を抑える。それでいっちょ上がりで寝る。

evidence(証人)

アタリマエのことだが、流山児の「演劇界の違和感=温度差を埋める努力を!至急に草案・試案を提示し公開討論を!だ」というコトバを待つまでもなく、そういう場がもたれてから、「劇場法」とやらは、議案立法として国会に提出されるのがスジというものだ。でなければ、ケジメは誰がつける。「せっかく劇場法まで制定施行してやったのに、ダメだねえ、河原乞食は」などといわれても、つまり「劇場法」は正しかったが、中途半端にしか私たちがそれを営為具現出来なかったという、いつものあの、「数学教信者」の論理に、いったい誰がオトシマエをつけるのだ。その話し合いの方法として、私の考えを述べれば、傍聴を認めて、四つの部門の代表が議論すること。四つとは、一つに「劇場法」制定の提唱者。一つに演劇関係の劇場管理運営者(公営、民営から)、一つに劇場使用関係者(たとえば、芸団協、演出者協会、劇作家協会)、一つに民間の経営関係者(たとえばセブンホールディングス、ユニクロ、中小企業の経営者、ベンチャー企業の成功者)。ここで四つめの代表者は、第三者の立場にあり、演劇に関しては門外漢であり、かつ企業秘密の部分の発言はナイとしても、充分なデータやリサーチやマーケティングの方法はrealityを持った論述として、厳密な指摘に値すると思われる。間違っても、学識経験者や、コンサルタントなど、テレビのコメンティターなどをおやりにってる方には遠慮願うべきだ(理由、そんな方々は私が経験的に信頼していないだけだヨ)。この四つの部門から数名が「劇場法」の草案を下敷きに査読、討論し、問題点を洗い上げ、それを基に制定提唱者から、再提出された第二案をさらに四つの部門の代表者が再査読、吟味するための議論を行い、これを再修正されたものが議案立法として提出されるという道筋を踏んでいかなければ、これまでの、文化庁の赤字補てんおありがとうございます助成や、札差の顔色を伺う武士のごとき指定管理制度とナンの変りもナイ。日本は法治国家ではなく、立憲国家なのだから、法という表象(image)によったシステムで治められるのではなく、立法によって表象(image)を変えるべく「劇場法」というシステムが存在しなければならないのもアタリマエのことだ。そのためのエビデンス(証人)となるべき者が、立法の前に在らねばならないのも、当然のことだ。

evidence(徴候)

いまはどうなのかは、知らん。こちとらが東京でも芝居を打っていた頃、劇団(もしくはその関係者・つまり、劇作家とか役者)にはある心情的evidenceがあって、まず、聞いたこともナイようなアトリエだかスタジオだかで公演をやり、これが、ザ・スズナリ(などの本多小劇場系列)からお呼びがかかるか、そこでの公演が可能(つまり認められる)ということになり、やがて、本多劇場あるいは紀伊国屋劇場へと昇級して、新国立劇場へという頂点に至るというものだ。日本人は、こういう昇段的階級、いわばsuccessが好きなのだ。だからいまでも東大出身などと聞くと、一歩引いたり構えたり(私のようにバカにする者も稀にはいるが)する。ところで、ザ・スズナリと、新国立劇場は何がチガウのだ。何をどう差っ引いても、[権威]というものしか取り皿の上には残りはしない。そこで、この[権威]を私は、現在においての[表象 image]としての(或いは、における)システムといっているのだ。流山児の寺廻りAsyl劇場は、新国立劇場にだって、ひょいといってしまうに違いない。(誤解しないでもらいたいが、そういう身軽さ、自由さを所持しているということだ)。私なら、皇居のどこかで、陛下と皇后さまを前にして演じたいとさへ願っている。そこで陛下からあるいは皇后さまから「革命って、なんてステキなことなんでしょう」といわれるのが夢なのだ。もちろん、私は右翼とか、『WiLL』などという翼賛雑誌で盆踊りに明け暮れているスットコドッコイな駄インテリではナイ。タカモノを生業とする物書き風情だ。さて、かつてのようにこの業界はdiscではナイ。ある重層なディスクの重なりのようではあるが、女衒やら、角兵衛獅子の親方は、(また一人旅の芸人も)、このディスクの通行手形を簡易に手にすることが出来る。つまり、先月、新国立劇場の舞台に立っていたものが、今月は寺廻り劇場に参加し、来月は、テレビの二時間ドラマにも顔を出すことが可能なのだ。とはいえ、それもまたevidence(徴候)だ。小劇場(といういい方がもう通じなければ小劇団)の劇団員が、必ずしも老舗の新劇劇団の劇団員より貧乏であることなど有り得ない。悠々自適に小さな劇団、小さな劇場で、演劇を遊んでいる者もあれば、家族を養うために、商業演劇のガヤとなって、数カ月の旅をする役者も在る。劇場、劇団、劇作家、演出家、役者、どれをとっても1枚のディスクに焼き付けることは不可能だ。このevidence(徴候)が、何かに収斂していくことがあるのだろうか。「劇場法」における演劇と教育、演劇と経済(観光)が、one way ticketにしか感じ取れないのは、そのためだ。つまり、「政治的な手段、目的は、違う政治的な手段、目的に、いつでも変更されることが出来る」という命題だ。とはいえ、寺廻り劇場が、その異論になりうるかというと、前述したように、私の35年のテキ屋タカモノ生活は、それにすぐ拍手するようには出来ていない。ともあれ、高見の見物などする気は毛頭ナイので、残りの人生は、つまるところ演劇にコマを張るしかナイ。

2010年10月26日 (火)

evidence(証拠)

『オックスフォード連続殺人』(映画評・感想ではナイのて監督などスタッフは略す)の中で、主人公のマーティン(イライジャ・ウッド)は畏敬する数学の天才セルダム教授(ジョン・ハート)から、こんなことをいわれる。「きみも数学教信者かね」(記憶で書いているので正確ではナイのだが、差し障りはナイ)。原作の小説も、映画も、数学理論を手品師の帽子から兎のように多用してくるが、それ自体がミスディレクションの本格ミステリで、ある程度の教養があれば、べつに邪魔になるというものではナイ。オモシロイのは、数学の天才教授に、そういうせりふをいわせていることだ。「数学者は、世界が無くとも、数式は在ったと思っているんですよ」というのも、何かのホンか、ドラマで耳にしたせりふだ。つまり、数式と現実とにチガイが生ずるとき、数学教信者は「現実のほうが間違っている」と判断するらしいのだ。これは、経済学でも同じことだ。マルクスやケインズの系統、そうして数理経済学やらゲーム理論にいたるまで、それがうまくいかないときは、必ず、世間のほうがオカシイと断ずることになっている。かのチェスタートンでさへ、聖書に矛盾が読み取れるときは、必ず現実にも矛盾があることを示している、とのたまう。かのように、エビデンス(証拠)というものはやっかいなものだ。・・・「劇場法」については、フリンジ的な見解を、このブログで少し述べた。中で、「劇場法」というものに対する私の疑義は、「劇場」というものを現実のものとみなしていることだというふうにも書いた。(もちろん、建築物としてみるなら、それは現実のものには違いない)。しかしながら「劇場」は、表象(image)としてとらえた場合、ひとつのsystemだ。従って、現在の文化、芸術、表現は、「劇場」に[表象 image]としてのsystemとして存在していると了解したほうがワカリヤスイ。そうしてそれが[表象 image]としてのシステムならば、流山児の寺廻り「劇場」もまた、同じように[表象 image]としてのシステムと考えても同じだということだ。ではどこで両者の差異が発生するのか。そのシステムの違いを流山児は、網野史観のAsyl(避難所・悪場所)と規定する。「劇場法」は文化庁との不義密通を絶ち、指定管理の破綻と不備を是正しようとする新法のようにみえはするが、何れこれまでと同様に、片道切符(one way ticket)のよう気がしてならないし、寺廻りは流山児の還相としての渡世に思える。つまり、どちらにもエビデンス(証拠)となるものが何もナイからだ。そこで、極めて重要であると思われる、私たちが希求するエビデンス(証拠)の要求を提示するならば、およそ演劇の表現に「新しい」「古い」などという概念(category)が表示されたとき、そのようなエビデンス(証拠)を提示、評価基準としたほうには、私は賛同しない。私たちはいまでもアルタミラに描かれた穴居民の洞窟壁画(18500年前のもの)を感動の眼で観ることが出来るのだから。

2010年10月25日 (月)

evidence(根拠)

藤原秀行名誉棋聖と、林海峰名誉天元の番碁で、囲碁史に残る勝負がある。タイトル戦名は、ちと思い出せないが、この頃、林海峰さんは弱冠ながら飛ぶ鳥を落す勢い。秀行先生も鬼神の如し。盤上、黒番の秀行さんが、白にツケた。それはそれで手である。林さんは、それは放置して大場に打つ。ところで、次に秀行さんは、いまツケたその場をハネたのだ。林さんはおやおやとは思う。しかし、いま、そんなところは打っている場合ではなく、美味しい場所はいくらもある。で、放っておいて、他に打った。事件はこのアト起こった。なんと、秀行さんは続けて、アテたのだ。いくらなんでもそんなバカな手はナイ。およそプロの、タイトル保持者の手ではナイ。ひょっとすると小学生でも打たない。たった一つの白石に対して、ツケてハネて、アテたのだから。どうみても、これは林さんの勝ち。別室での観戦者も、大いに首を捻りつつ、秀行先生、酒が残って惚けてんのかなというくらいにしか思っていなかった。しかし、秀行さんの打った三手は、一つの白石に対するものではなく、そこに厚みを築く根拠だったのだ。そんなことは、誰も予想だにしないことで、結局、この碁は、その厚みを巧みに効かせた秀行先生の勝ちとなった。・・・およそ囲碁というものは、複雑にみえるが、そうではナイ。単純なものだ。将棋と違って、置いた石は動かせないので、闘いはpotentialなものとなる。たった一個の石が勝敗を決めたり、優劣を逆転させたりする。その一手が緩着、失着、敗着、などと称される。だから、単純なものだ。しかし、単純なものほど難解なものだ。複雑だが簡単というものがある反面、単純だが難解というものもあるのだ。・・・そこで、囲碁棋士のプロ高段者やタイトル保持者などは「根拠」のナイところに石は絶対に打たない。たとえ、読み違いであろうとも、打った以上は、その棋士にとっては、その石は根拠のある場所に打たれている。・・・さて、流山児オフィシャルブログ

「以下「JOIN」という日本劇団協議会の発行する演劇雑誌に掲載した原稿を掲載します。妄想記~何処でも劇場に「なり」ます!~ 流山児祥これは「劇場」を巡る私的妄想メモです」

について、ひとことだけ、私の注釈を添えておく。

 
「では、わたしたちの「劇場」とは?私たちは志ある友人たちと共に2011年から新しい劇場ネットワーク作りを始める。全国の寺社・教会・ライブハウス・コミュニティカフェ・限界集落などを「劇場化」しそのネットワークを多くの演劇人が共有=協働する。早稲田のアトリエでプチ演劇祭を5月・6月に開催する。役者はカラダひとつあれば何処にでもふらりと往ける。5月から8月にかけて北村想との2人芝居、北村想:作『謡説浮世根問』、寺山修司:作『花札伝綺』三島由紀夫:作『卒塔婆小町』の3本を持って海外そして全国を回る。呼んでくれれば、何処でも行きます。劇場は「ある」のではなく「なる」のです。劇場とは自由に「他者」と出会う解放区=アジール(避難所:自由空間)なのである」

私(北村想)が、流山児との二人芝居を小林七緒の演出で、3月に東京の早稲田アトリエをかわきりに、全国ツアーをすることは事実だ。しかしながら、私自身は、前述した劇場ネットワークとか、「劇場化」とか、プチ演劇祭とかに関与するものではナイ。私は、流山児と小林七緒との3人よれば文殊の智慧(これはなあ、文殊菩薩のことなのヨ)に基づいて、粛々と、自身のスケジュールを調整しながら二人芝居をやるだけのことだ。「役者はカラダひとつあれば何処にでもふらりと往ける」だろうが、私は還ってヤルことがあるからな。「私的妄想メモである」ことにケチをつける気は毛頭ナイ。実に流山児らしい、勘の鋭い「劇場法」への疑問符、問いかけだと敬読した。これはこれで、一手だと思うが、読者の誤解をうまないように付記しておく。

2010年10月24日 (日)

『寿歌』最後のなぞ

拙作『寿歌』はナゾの多い戯曲で、この作品を書いた当初、私自身ナニを書いたのか、まったくワカラナカッタ。それが、岸田戯曲賞の候補となって、私は大いに慌てた。また、あっちでもこっちでも、プロ・アマ問わず、公演があり、私もマスコミからのインタビューを受けたが、ただ「これは、核問題とは一切関係ありません」としか答えようがなかった。それから幾度も自らの劇団で公演を重ねたのは、この戯曲がナンナノカ、知りたかったからだ。そうして、15年めにして、私はやっとこの戯曲が理解出来た。ある一部分を除いては。その一部分というのは、ヤスオ(ヤソ)を中心にゲサクとキョウコが横に並ぶように舞台に立って、遥か向こうを眺めている、それだけのシーンに、泉谷しげるさんの『夜のかげろう』の頭の部分を楽曲として用いたことだ。それがどういうワケか、ピタリとはまるのだ。これは、私の嗜好の問題だと思っていたが、実は、そうではナイ。この最後のナゾは、最近になって、やっと解けた。これは、イエス・キリストに向けて、歌った女の愛の恨み歌だったのだ。そう思って聞くと、なるほどと思う。以下に、著作権無視で、歌詞を書き記す。たぶん、理解いただけるはずだ。(歌詞のなかの「女」は「ひと」と読む)

あなたが死んだのをきいたのは ずいぶんしばらくしてからさ

きけば たずねる人はなく となりの人は名前さえ知らず

あなたに泣かされた女もいる あなたと死のうと思った女も

なのにあなたはいつだって 弱いところをみせなかったわ

ばかだね ほんとにみじめだね 世わたりじょうずの人だったのに

まじめに女をだますから かげ口ばかり たたかれて

あなたのことは忘れてたから 死んだことはそれほどじゃない

それほどじゃないから 腹がたつ

忘れるだけ 忘れてやる

(一部関係ナイと思われるところは割愛した)

A BOUT DE SOUFFLE

〇アイホールで『縄文人にあいういい』を観て、滅びないものは亡びない、と確信し、宴で飲んだちょっとの酒にすっかり酔って、ひさしぶりに伊丹シティホテルで、ぐっすり寝て、翌日、アイホールの山口館長から、とある新聞記者の書いた現代演劇のなんたらいう本を「こんなん出てます」と、みせてもらう。「この〇〇さんは、かつての朝日新聞の〇〇さんのマネがしたいだけやな。小沢昭一さんや、永六輔さんのように歩いて書くようにせなアカン。演劇記者は、この20年、何の進歩もナイな」というとく。

〇「アイホール図書から、『せりふの時代』数冊を引っ張り出して、ちょい読み。本谷なんたらは、こんなもん読んだら、書けんようになるなと思い(なんでかいうと、書くことがアホラシなるようで)川村毅をひょい読み。こんなん読んだら書けんようになるなと思い(なんでかいうと、唯一、私の戯曲のクオリティを脅かす書き手は彼だけで、こんなふうにうまく書かれたら、困るヨナ)

〇あんまり良くない夢もみた。どういう理由でか、コミなし盤面持碁で終わろうと必死に石を置いているのに、相手が、その石に必ずツケてくる。ハネようかとも思うが、適当に大ゲイマすると、私の陣内に、相手の石が置かれる。もうしょうがない。相手の最後の二手を観て、投了することにした。そうしたら、今度は「感想戦を」という。

〇傷心、未練、そういうものは、私にはもとよりナイ。執着を持ってナイから。しかし、体力の消耗はあるので、昨日から、飯を気張って食っている。(と、これは、ある現状を述べたまで)さて、仕事だ。いちかけ、にかけ、さんかけて、しかけて、ごかけて、はしをかけ、はしのらんかんこしをかけ、はるかむこうをながむれば、このよはつらいことばかり、そこで黙ってひとを斬る、私は必殺仕事人。歳が年だから、あんまりのんびりもしてられねえんだ。

2010年10月23日 (土)

シーシュポスはかく語りき・4

シーシュポスは目覚めた。「恋というものは、その初めは、なにか自分たちだけの特別なことのように思えるのだが、終わってみると、誰もが経験している恋と寸分ちがわぬものだ」

かつ、彼はいった。「種の保存に、恋愛というドラマツルギーがあるのは人間だけだが、従って、それが、水棲種が陸に上がってエラから肺へと呼吸の手段を変えるまでの、数億年の苦しみに匹敵するのもアタリマエといえば、そうとしかいえない」

さらに彼はいった。「恋が文学であった平安朝の貴族においては、三十一文字で、恋が表現されていた。しかし、いにしえの万葉においても、直截的な、なんの技巧もナイ、また身分や門地を問われナイ、ココロの三十一文字があったのだ。いま、私たちが失ったのは、恋そのものではなく、そういった三十一文字のほうだ」

彼は続ける。「失った恋ゴコロを癒すものは、新しい恋ゴコロでしかない。しかし、その恋もまた失われることだろう。この連鎖は終わることはナイ。何故なら、恋というのは、進化の必須条件だからだ」

かくして、シーシュポスは、心身(しんじん)脱落したかのように眠りについた。

2010年10月21日 (木)

シーシュポスはかく語りき・3

シーシュポスはこう語った。「私たちがふだん用いている、共通のコトバの概念(category)、規約(rule)、規範(model)によって、私たち自らが縛られていることに、私たちは殆どまったくといってよいほど気づかないでいる。そのようなコトバによる縛(疎外)から逃れるため、さらに、それを克服するために、私たちはまず、自らのコトバを創造していかねばならない。それらは、名詞で語ることは難しくとも、こう、いい替えることで可能だ・・・これでもナイし、あれでもナイ・・・およそ、般若心経の作者は、[智慧]ということにおいて、そのドラマツルギーに通じていたのだ」

彼は続ける。「処世に算盤を弾いても、結果が惨憺たるものであることは、歴史がこれを教える。いくら算盤の珠を強く弾いても、ついには算盤が砕け散ってしまうだけだ。では、どうすればよいのか。答えは実に簡単だ。処世に算盤を用いなければ、それでイイ」

彼はまたこういう。「答えが同じであれば、その手順が単純であるほうが価値がある。いわゆる[オッカムの剃刀]と数学で称されているものだ。それは、日常的にいうなら、ちょうど電車の乗降にカードを使うのと同じことだ。しかし、その手順に辿り着くまでは、幾度も路線図と運賃表とを交互にみてticketを買うという、複雑さを経験しなければならない。単純な価値を手にいれることは簡単なことではナイのだ」

また彼はいった。「即決の前には、重層な考えが長くあるものだ」

そうして、シーシュポスは、いつものように、黙して座った。

2010年10月20日 (水)

シーシュポスはかく語りき・2

シーシュポスは語る。「旅路の果てというものはある。ところで、その果てをみつけたとき、初めて、ひとはそのひとの旅路につくのだ」

彼はいう。「コトバが矛盾するのは本質なのだ。ある基督教徒が私にいった。・・・愛とは敵をゆるすことです・・・と、そこで私はその基督教徒にこう述べた。・・・私は敵をゆるしたりはしない、ということで、あなたの敵になるが、あなたは私をゆるすのか・・・と。基督教徒は、頭を抱えて苦悶したままだった。つまり、その基督教徒はコトバのparadoxに陥ったのだ。それはコトバが不完全だからではナイ。コトバは完全なのだ。もし、コトバを無矛盾に用いようとするならば、コトバは不完全でなければならない」

彼はつづける。「トランプゲームをしていて、ある一枚の切り札を隠し持ってそのゲームに勝利したとしても、その者が味わう勝利は美酒だろうか、私には陰険な味の余韻でしかナイように思える。すべてのcardをきれ、そうしてのち、勝負しようじゃないか」

彼はまたこういった。「ひとは自らに都合の悪いことは忘却するか、答える意志を最初から持っていない。だから、・・・正直者はバカをみる・・・という文句や、・・・ウソも方便・・・という文句が生まれたのだ。姑息(その場凌ぎ)は、処世として意外に罷り通るものだ」

彼はさらに述べた。「これだけは如何なることがあろうと忘れるな。どのような倫理に生きていても、戦争になれば、流れ弾であろうと核爆弾であろうと、死は無分別に訪れる」

かくして、シーシュポスは、横になると眼を閉じた。

2010年10月17日 (日)

シーシュポスはかく語りき

カミュは記す。「ホメーロスの伝えるところを信じれば、シーシュポスは人間たちのうちでもっとも聡明で、もっとも慎重な人間であった。しかしまた別の伝説によれば、彼は山賊をはたらこうという気になっていた。ぼくはここに矛盾を認めない」・・・もちろん、私も矛盾を認めるものではナイことは告知しておく。なぜなら、私は聡明でこそなかったかも知れないが、慎重ではあったし、とはいえど、いくら慎重に生きても失敗というものは避け難いゆえに災難であるのだということを学んだし、そうして山賊のようなマネもしたからだ。

さて、シーシュポスは、地獄の刑罰に身切りをつけた。岩などどこへでも転がっていくがいい。神々の怒りか、その怒りもてひとびとを恐れさすごとく、愛をもって人々を受難から解放すべきではないか、と彼はアタリマエの結論をくだし、神々に三行半を献上し、「あなた方はトレードだ」と宣告したからだ。

シーシュポスはいう。「私の死にぎわにおいて、我こそはあなたの手を握り、腕をささえ、カラダを抱いて、あなたへの歌をうたえる者です。という私への誓いなどはせぬほうがイイ。それこそは、私に権力という、悪のclimaxをもたらすものだ。私はそのような権力を否定するし、その否定のために、ここを離れるのだから」と。

また彼はいう。「私のことを狂人と思い、私のなすことを狂気ゆえの営為と判じる者は、その狂気こそは、あなた自身のココロの反映でしかナイと知るべきだ。自らを省みぬ者、自らを強きものとして任じている者は、それが砕け散ったときの恐怖におののくだろう。まず、あなたは、あなた自身の強さを否定するべきだ。あなた自身の弱さの肯定にいたる否定を術に出来たとき、あなたは、あなたの地獄の刑罰から解き放たれるだろう」

彼は続ける。「私をアテにするな。そのぶん、私を救おうとしたり、私を導こうなどと思うな。私のことなど放っておく勇気を持て。私のココロもカラダも、占められるものではなく、また動かせるものでもナイ。私は、地獄の刑罰で、永劫の時間、山頂に岩を押し上げていくとき、この岩は何なのかと熟考した。絶望か、虚無か、重圧か。そうしてそれは、私への愛であるという呪文のようなコトバを聞いた。愛というのは、私にとっては、この岩なのだと気づいたのだ」

さらにつけくわえて彼はいう。「愛というものは、神とひととのあいだの密約として、そういう族にまかせておけばイイのだ。私に必要なのは、私を私たらしめる[仕事]だ。それがたとえ愛というものに化けようと、私の知ったことではナイ」

それから彼はこうしめくくった。「私は私の[仕事]に生きて、[仕事]に死ねれば、充分生きたことになる。さあ、私は私の[仕事]をみつけにいこう」

いい終わると、彼はしばし黙した。

2010年10月16日 (土)

賽は投げられた

シーシュポスは、山頂まで岩を運び上げると、それを蹴飛ばした

岩は いずことしれぬところへ 転がり落ちた

眼下にひろがっている美しい街の灯をみると

彼は大地に骰子を投げた

「ピンゾロの丁っ」

ヨシっ と 彼は叫んで天を仰ぎ 自らの刑罰に自ら終止符をうった

それから あたかも ツァラトゥストラのごとくに 山を降りていった

2010年10月15日 (金)

ただの自転車屋

こんど生まれてくることが出来たなら、自転車屋になろ。いろいろな器具を使って、一日中、自転車を組み立てたり、修理したり。ときどき、ひとりごといって。独身で。青いツナギ着て。鬱病なんかとは縁のない仕事。それが出来ない今世なので、そんな芝居を書いてみようかと思う。ただ、自転車が組み立てられていくだけの芝居。ときどき、ぼそぼそ、ぽつりとせりふが入るだけ。自転車が組立上がったら、おしまい。タイトルは『ただの自転車屋』・・・柄本さん、やんないかな。

2010年10月14日 (木)

『どちらかが彼女を殺した』を読む

タイトルのごとく、読んだのだ。さすがに、前回レビューを書くに扱った作品から5年を経て、作者(東野圭吾)氏の成長がよくワカル。やっぱり、書き続けるというのはタイセツなことだ、し、書き続けられるというのは、それ相応の作品を次々に書いていったのだという、ミステリ作家の苦労もよくワカル。(本場英国の女性ミステリ作家の殆どはアルコール依存だって聞いたからナ)。ミステリ作家にならなくて良かった。・・・とはいえ、戯曲ではたしか二本、小説でも数本書いているんだけど、当方は鳴かず飛ばずだな。・・・で、私は文庫で読んだので、解説(真犯人へのヒント)が袋とじになっている。本文を読んで、真犯人がワカッタつもりになっていた私は、この袋とじを開いて、ウーンと、矛盾に陥ってしまった。ネタバレとかいうのになると困るので、詳細は書かないが、何回読み直しても、ワカラネエ。そこで、Googleのお世話になって(たぶん、そういうことが問答されているだろうと思って)、うん、あるある。いっぱいある。で、真犯人は、私の判断と違いはナイ。しかし、こういう右利き、左利きを真実の判断にもちいるのは、極めて証拠として弱いような気がするんだけどなあ。まあ、いいや。一応、論理的にはスジは通っているんだから。しかし、論理なんて、いくらでも論理で引っくり返せるんだけどなあ、都筑道夫(故人)のいう「論理のアクロバット」だ。それが、こんなにイイ構造で描かれている、実に丁寧なミステリに欠けている、私の贅沢な不満。矛盾しているのは私の心理(このコトバ、嫌いなんだけどネ)なんだな、きっと。

2010年10月11日 (月)

命日

この八日、クラモチくんの命日。一周忌の法要宴席を避けて集まったのは、私を含めて4人。Uさん、U妻さん、Sさん。U妻さんとSさんの二人と私とは初対面なのだが、会った瞬時に、波長が理解出来て、何も語ることなしに和んでしまう。さすがに、クラモチくんが選んだ(つきあった)ひと、という印象。墓参りをすますと、仏間で、クラモチくんの奥さんを交えて、故人の思い出話。ここはいいところばかりではナイ。愁嘆場と修羅場の中間。奥さんが「あのひとは、何もしゃべらないひとだったから、わからなくて、とても冷たいひとだと思いました。私の具合が悪いときも、何もいってくれなかったんですよ」、いやあ、故人を偲んで、ハンカチで涙を拭いながらも、恨み節。私たちは、寿司と天麩羅を頂きながら、苦笑。「それは、ちがいますよ、奥さん」と、故人の弁護。各自のそれを聞くと、奥さんもともかくは納得してしまったふう。それが聞きたかったんだなあ、きっと。「そういえば、私が悩んで困って苦しんでいたときに、・・・そういうときは、自分のことをイチバンに考えろ・・・とだけはいってくれました。それで、胸のつかえがとれたことがあったけど」、とまあ、このコトバはこの日の私の収穫でもあった。私の場合、18か19の頃、若気のいたりで、死ぬか生きるかという苦悶を抱いて、彼の下宿を訪れたとき、壁に「真なるものは蹉跌する」という貼り紙があったなあ。・・・息子の嫁さんが顔をみせたのは、孫が二人、奥さんに甘えてなだれこんできたとき。で、孫を連れてさっさと退場。「あのひとは、どういうワケか、あの嫁がすごく気にいっていてね、いまも、挨拶のつもりで顔をみせたんでしょうけど、愛想がなくて」、いやいや、私はUさんとともに昨年2度、嫁さんと会っているが、vividで、下町美人。そつがなくて、余計なことはしない。たしかにクラモチくんの気に入りそうな嫁だ。息子さんも、いいひとを選んだ。これまた、クラモチくんの血かな。お別れに、貴君の享年62歳までは、オレもなんとかやっていくからナ、と仏壇の遺影に挨拶。ところで、彼の写真嫌いはとことんで、正面を向いて写真に写っているのは、遺影を含めて二枚だけだそうな。そうそう、奥さんの口から、何かの拍子に「渡世というんですかねえ」という、コトバが出たのには、少々驚いた。たぶん、クラモチくんの口癖だったのかも知れない。「渡世」。読んで字の如し。されども、こいつがなかなか難しい。

2010年10月10日 (日)

天才について

私の辞書には「天才」の項目にこうある。「天才とは、如何なる事態に直面しようとも、一歩前進できる才のことをいう」・・・もう四半世紀近く前から、定期的に書き下ろしを請け負っている劇団から、正月公演の戯曲について、便箋1枚、用件にして10行ばかりの要望書が届いた。四半世紀となると、劇団員もほとんど総入れ換えになっていて、演劇というものについての考え方、戯曲についての考え方、劇作家についての考え方が違うようになっていて当然に違いない。だからといって、仁義が廃っていいワケはナイ。さて、私は、この劇団の正月公演のホンを8月に提出している。ところで、今月予定されていた読み合わせ初日が中止になったそうで、その代わりに意見交換会がもたれたらしい。で、ホンに対する「第二稿の要望」が郵送されてきたというトコロだ。要望(というよりも、指示といったほうがワカリヤスイ)は4点あって、ホンの構成から、ヒロインのキャラ、プロットにいたるまで、簡潔に記されているが、その理由について(何故、そんなふうに結論したか)については何も書かれていない。また、その要望たるや、まったくの素人の発想でしかナイ。と、同時に、劇作家の戯曲がどういうふうに書かれるのかを知らないらしく、自分たちのやりたいお芝居を「こう書いて」といえば、劇作家というのは、それを文章に起こしてくれる存在(そんな仕事をしているひと)だという、認識しか持っていない。で、その要望(指示)の4点に従ってホンを書き直せば、新たに一曲、ホンを書き下ろさねばならなくなる。つまり、構成上も、モチーフやテーマにいたって、まったくの変更を余儀なくされる。要するにこうだ。まったく私のホンが読み込めていない(その能力がナイ)のと、ただ、単純に劇団とそのシンパ観客に対して、今回のホンは不向きと判断しただけだ。私は、この劇団は、すでに新生なのだから、今後の劇団としての指標となるよう、いつまでも主役の人気だけに頼らなくとも、劇団としての方向性や色合い、傾向が見出せるよう、そんな願いもこめて粉骨砕身したつもりなのだが、けっきょくは向こうは「小・商業演劇」の悪しき延命策を選択しただけだ。・・・ここで、ふつうの劇作家なら、もう一曲ホンを書くなどという時間の余裕のなさ(なにしろ、稽古は始まっているのだから)と、自身の思想的信条から、この時点で、この仕事は放棄している。ただ、この劇団は、半ば座付きで、かつ、温情なる原稿料でホンを書くという、私という天才劇作家とつきあってきたというのが、幸いした。私は、4つの要望に沿って、新たに一曲書き下ろすこともなく、それでも、たっぷり半日費やして、血圧は165を示す結果になったが、第二稿を書いて、送った。・・・要望(指示)の4点の、あまりの学芸会さの押しつけに、劇作家としての屈辱と立腹とを持ったが、天才としての矜持をもって、これに応えたのだから、それ相応の脚本料の請求はしておいた。アタリマエだ。

2010年10月 7日 (木)

東野圭吾を読む

いま平積みのミステリ作家東野圭吾を読んでみた。映画(原作)では「秘密」が面白く、よく出来た作品だが、あとは、直木賞作品も含めて、みなダメだという感想だ。そこで90年代のもの、最近文庫になったのを2冊。かつ、ミステリ作家の手並みのワカリヤスイものを選んだ。『仮面山荘殺人事件』『ある閉ざされた雪の山荘で』。いわゆるミステリの代表パタンだ。前者は5幕中、2幕で、物書きの同業者として、犯人と構造がわかったが、この作品には、それ以外にひじょうに優れたところが、ひとつ存在して、これは最後までわからなかった。アトは夢落ちのようなものだ。後者は前者に比べると、えらく単調で、なるようにして終わる。やや退屈というふう。けだし、何れもライトで読みやすい。読者サービスなのか、これくらいのものがちょうどイイんだなあ。

2010年10月 4日 (月)

サイコロをふるたび白き目しか出ぬ我が双六に上がり望めず

犯人の終にわからぬミステリィ探偵もまた行方をしれず

黄泉の夜に立ち寄りたる停車場に今宵最後の汽笛聞こえる

青春の白き靴した歌フォーク聞きて眠れよ自死の前夜は

このつぎにもしも生まれてきたならばやりたい仕事自転車屋

暗さゆえ亡びずにいる証しとす愛知らぬこのこの夜にみちて

暗ポン澹

『十三人の刺客』のレビューをネットで読んで暗澹たるポン。☆多き者は映画を、少なき者はテレビを観にきているのだ。後者の殆どは、説明不足でキャラがワカラナイといい、自身の想像力の未熟、無知、固定化には、何の疑いももっておらず、テレビとのグロテスクな差異に嫌悪を示す。ここにテレビなどのコミュニケイションシステムの、無意識への教育の浸透に対しての驚嘆と危惧を痛切に感じる。これは、いまの演劇にも同等にみえることだ。

2010年10月 2日 (土)

「これが人生か、よし、もう一度」(ニーチェ・『永劫回帰』)

「これが人世か、また、ふりだしだ」(北村想の骰子)

「これが野球か、なら、来シーズンも」(中日ドラゴンズ・・・おまけ)

2010年10月 1日 (金)

夕陽の丘

さすがの猛暑も、夕方に吹く風は涼しくなって、丘陵をおりたあたりにある実家には、山間から飛んでくる赤とんぼの姿も観られるようになった。少年のころ、その、目をみはるほどの群れに坂道で遭遇した経験は、記念すべき私の『新劇』最初の戯曲の中に書かれている。そこに私は、「赤とんぼこそ、夕陽の忘れ形見、夕陽の素粒子なのです」というふうに書いたはずだ。このillusionは、私のその後の演劇(戯曲)の傾向をすでに決定づけたといってイイ。いきなり余談だが(といってこれ全体が余談なのだが)、私はillusion magicというものはあまり好きではナイ。つまり、あんなものは銭をかければ出来るじゃないかとシラケてしまうからだ。これもまた、舞台装置(舞台美術)に大枚の銭をかける芝居を好まないのにつながっているといえばそうに違いない。このあいだは、中津川のセミナーで、敷物がパッチワークで出来たので、100万円で済んだという話に、ちょっと驚いたが、隣でそれを聞いていた劇作家のTくんも「100万あったら、芝居そのものが二本出来る」とこぼしていたのに苦笑した。ちなみに『寿歌』で使った敷物は、輸送用トラックの幌の縫い合わせで、これは、もちろんタダだった。かつ初演では、照明の灯体も4基しか使っていない。銭がかかったのは、最後に降る雪で、素材は紙テープなのだが、三角形に切る作業の人件費をもし計上したとしたら、かなりの額になっていたはずだ。この作業は、公演を重ねるたびに劇団員総出でつづき、数万枚の紙の雪吹雪となって舞った。一度だけ、私は、舞台終了後、挨拶に立って「この雪は世界でイチバン美しい雪です」といいつつ、不覚にも落涙したことがある。かくなるごとく、私の生きてきた世界は、そのものがillusionのようで、実生活では、不謹慎、不真面目、人非人、悪人、女衒、欺瞞家、詐欺師、姑息、どういわれてもアテハマル体たらくだったが、これは生きるのが不器用なだけだったのだと、さらに誤魔化している。基本的には(こんなことをいうとまたfeminismのかたに叱られるが)女々しいのだ。ふつうの男性なら、素通りすることにも躓くと、もうナニに躓いたのか、答が出ようが出まいが考えなくては気がスマナイ。で、粘ることだけが信条で、そんなことを繰り返しているうちに、それがせいで鬱病になり、いっそう女々しくなってきただけだ。べつに深謀遠慮とはナンノ関係もナイ。今日は夕陽だ。夕焼けだ。また明日から、旅寝の空だから、イイワケに過ぎないこんな文章を残して、それじゃあ、また1週間ほど。(ツイッター程度のものなら発信しますがネ)

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