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2010年9月26日 (日)

表象としての劇場

ふつう流布されているように、能狂言のうち、能はintelligentsiyaのもので、狂言は庶民大衆のものだというのはまったくの錯誤だ。というのも、能狂言は、600年の歴史を持つが、一切は大名のお抱えで、大名自身も能を演じ、狂言は、庶民大衆とはこういうものだという笑い話として、彼らの娯楽であったに過ぎない。つまり、能狂言を観ることのゆるされた者は、庄屋、名主といった者が、せいぜい一年に一度だけで、羽織袴に上下姿で、下座に座っただけだ。現在、能狂言で用いられている装束は、600年前のものだが、それだけ丁寧、慎重に扱われ、また、豪華、贅沢な布地が使われているのはそのためだ。歌舞伎は、そうではなく、これこそは庶民大衆の娯楽だが、江戸時代は文字通りの小屋掛けで、筵や茣蓙でつくった小屋(つまり、そういうものを竹の骨組みにかけただけのもの)から、芝居が「かかる」という「かかる」は、このコトバが転じたものだ。彼らは、河原に居住することしか許されなかったので、「河原もの」と称されるようになった。ただし、「河原乞食」というのは本来は、芝居ものとは直接関係はナイ。乞食は、食を乞う、のだから、もともとは托鉢の僧を含む、修行僧のことをいう「こつじき」に語源がある。単に乞食(こじき)としての職(というのも変ないいかただが)は、大道芸(テキヤの部類)に含まれるので、乞食(こじき)のほとんどは、職業的に乞食をやっていたに過ぎない。私がテキヤをやっていた頃に親分から聞いた話では、乞食衣装道具一式というのは、すぐに営業出来るように用意されていて、さらに子ども一人付きというのもあったという。・・・従って、常磐座がお江戸の歌舞伎小屋を模倣したのは、明治に入ってからのことだ。そのとき、おそらく村民は、劇場である歌舞伎小屋の建築物そのものを欲したのではナイと考えたほうがイイ。では、なにを小屋に求めたかというと、本場の歌舞伎小屋が持つ、浮世離れ(現実を越えた、虚構)としてのイメージだ。もちろん、そのイメージは意識的なものではなく、無意識的に村人たちに入り込んだイメージだ。つまり舞台の上で演じられる物語(虚構)それ自体ではなく、虚構が無意識のうちに「否定」してくれるものを、歌舞伎小屋のイメージのうちに感じ取っていたに違いない。裏を返していえば、本場でも、村芝居の歌舞伎小屋でも、その虚構の陰の部分である無意識のイメージにおいては、現実世間への強い「否定」が働いていたと考えてイイ。この「否定」こそが[革命]へのpotential(潜在的)lな誘導であった。声高に革命を謳ったプロレタリアート演劇が、これを表に引き出したとのかというと、それはまったくそうではなく、まるで逆で、彼らは「否定」ではなく「現実(realism)」とやらを、さも演劇の本質のように、その表層に張り付けただけだ。演劇の持っている本質的な「否定」は、演劇を営為する個人のイメージと、劇場(小屋)そのものが社会的に「否定」するイメージとにおいて、無意識のうちにしかむすびつくことはナイ。すると、劇場をあるシステムで支配するということは、論理的には、前述したような「リアルな劇場」をつくりあげるという意識的(状況的)な行為にしか過ぎず、ほんとうに私たちが「否定」しなければならないものは、つまり[革命]は、ついに死語の辞典に書き加えられることになる。

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