たいしたことではナイ
地球に生命体が出現してから38億年。ダーウィンの種の「起源」はそれだ。それから38億年、私のDNAの遺伝子には、38億年の生命体のココロが記録されているんだろうが、そう考えると、私の個体としての私などは、38億年のアーカイブスにおいて、「かけがいのナイ私」なんてものは、あるのかどうか、あってもそうたいしたことではナイのではないかと思われてくる。・・・中津川での「北村想」仕事を終えて、ああ、この夏は、猛暑なのにかなりの仕事をこなしたなあと、呆れているし、この八ヶ月、通帳の数字にほとんど変動がナイないのは、タダ飯を食ってるせいもあるだろうけれど、適度に入金もあったからだろうと、そんなもんかと妙に納得している。このあいだ、法的に離婚が成立して、財産分与と、慰謝料と、そっちのほうも滞りなく終了し、no sideということになった。失ったもの、得たものもあったろうが、お約束どおりというか、鬱病のdownがゆるやかに始まって、兆候としての希死念慮と、自責が訪れる。こういうときの判断はまず間違っているのだが、私は、私以外のひとの人生の責務を担うようなことは、もうやるべきではナイと、自身を叱責しているし、ただただ、私は適宜死ぬまで、北村想の仕事をやっていればいいのだと、孤独に認識している。鬱病との死闘(まさに死を賭しての、だ。それだけは、罹患したものにしかわかるまい)を切り抜けてはきたが、いつ疲れ果てて、3万余人の中に数えられるか、ワカッタもんじゃナイ。しかし、それもこれも、たいしたことではナイのだ。そう思って頂ければ、それに越したことはナイ。この38億年のいま、偶然の確率で生まれ合わせた同胞たちに、心から、感謝の挨拶。
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