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2010年9月25日 (土)

虎穴に入らば

戦後の新興宗教の根幹となって大きな影響を与え、その神託と予言や教団の勢力を警戒され、国家から二度にわたる大弾圧を受けた大本教の出口王仁三郎(出口ナオを継いでいるので、教祖ではナイが、実質的な教祖とされている)は、次のような説法を残している。「虎穴に誤って入り込んで出られぬとき、目前にいる腹を減らした虎に勝つ方法がひとつだけある」それは、その虎に「喰われる前に喰わせてやるのだ」というう主旨のものだ。これは、拙作の戯曲『寿歌』でも引用したので、出典は定かではナイが、私自身よく記憶している。で、と、昨今の、中国人の船長さん釈放については、そういうふうに考えたほうが手っとり早い気がする。日本の保守系をはじめとする一般的intelligentsiya、政治家の多くは、今回の処置を、中国の居丈高な圧力に屈した国辱的処置と憤慨しているが(そうしてたしかに、中国の圧力は暴力団さながらの強硬なものだったのだが)、おかしな点が一つある。どなたも日本を「法治国家」であるという前提で、その法を超えての(いわゆる超法規手段)方法に、矜持を蹂躙されたと、フンガーといわれているところだ。簡単にいってしまえば、日本は「法治国家」ではナイ。では何かというと「立憲主義国家」だ。「法治国家」はむしろ中国のほうで、これは「国家法治」といったほうがワカリヤスイかも知れない。つまり国家が法によって国民を治めているということだ。日本の場合は「立憲主義」なので、逆に国家による国民の法治を立憲(日本国憲法)によって制御しているということだ。日本は民主主義国家だといわれるが、アメリカのような民主主義国家ではナイ。民主主義から全体主義や、その逆に一個人の権力行使に陥るところを立憲主義によってバランスをとっていると思えばイイ。中国は、ともかく国民を法治しなければならないので、それはつまり中国共産党という一党独裁による法治なのだが、それが危うくなると困るワケで、今回のことは、船長さんを助けたかったからではナイ、などということは、日本の国民は誰でもワカッテいることだ。尖閣諸島の領海権にまで、あるいは東シナ海のガス田の争奪にまで、乗り出して、台湾に対する威圧のために空母の量産に踏み切り、いったいこの国家はすでに社会主義ではナイ(もとから共産主義でもナイのだが)のだが、ここまで、対日戦線を活発化させているのは、私たちの目にはみえないところで、なんらかの疲弊がこの国家法治の国で始まっているのだとみてイイ。新聞やニュースにこそ登場しないが日中経済戦争は、熾烈に現在も続行されている。今回の出来事は、その一部分が露出したのに過ぎない。

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