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2010年9月23日 (木)

だからどうだというんだ

世に「心霊写真」というものがある。ホンモノか偽物か、こういうものは、UFOの写真と同じで、100万枚のうち99万9999枚が偽物でも、たった1枚がホンモノであれば、ようするに、その存在は確定、認証されることになる。従って、宝くじより当たる確率が低くとも、当たればイイのだから、撮ったほうには有利だといわねばならない。ところで、ホンモノの「心霊写真」というものがあるとしよう。私が常々いいたいのは、「だからどうだというんだ」というひとことだけだ。よしんば、それがホンモノの心霊だの幽霊だの霊魂だのの写真だとして、だからどうだというんだ。そこを説明してくれるひとが出てきた試しは、知るところ皆無だ。「ですから心霊というのはあるんですよ」という応答に対しても、同様に「だからどうだというんだ」と再度同じ問いかけをすれば足りる。「祟りますよ」、あっそうかい。しかし、向こうは心霊だから、死んでるんだろ、こっちは生きているんだ。命懸けで生きているんだ。のうのうと死んでいるモノに舐められてたまるか。というのが、私のaggressiveな態度だ。・・・もう一つ、疑問に思うのは、心霊写真に映る心霊というのは、こういうふうに出ると(映ると)観るものが怖がるということを、どこで覚えたんだ。観るものが怖がるという理屈をなぜ知っているんだ。・・・「幽霊は裸でなければならない」というのは王充の卓越した論文『論衡』の「論死篇-死とは何か-」に記されてある。つまり、心霊や幽霊が、ひとの霊魂、魂(精神)であるのならば、着衣にはそんなものはあるはずがなく、当然、幽霊は裸でなければならないという論理だ。この王充の『論衡』は、ぱらぱらと読んでみても、暇がつぶせるくらいオモシロイ。・・・いま、鬱病の入り口にあって、本日は希死念慮が薄らいだのは、「だからどうだというんだ」というコトバの発見にあり、このアトには「もう、どうでもいいじゃないか」と付け足したいところだ。もはや不浄の義理ゆえに、構えていなければならない年齢でもナイ。義理などすべて返したからな。人情紙風船の世知辛い世間だ。人情で生きて有終の美とさせていただきたく、候、だ。

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