illusionとしての劇場
「ホンネを描くとボツになる。だからきれいごとばかりになる。そんな社会が健全だとは私には思えませんし、きれいごとを言う人は、信用できません」(二階堂正宏『のりこ』新潮社・著者に聞くより)。二階堂氏の過激ナンセンス漫画は、その作品『鬼平生半可帳』の連載中止(のちに愛育出版から奇蹟的に出版の猛烈なエロ・ナンセンス)でも知られるように、いや、知られるというなら、『極楽町一丁目』の嫁姑の殺し合い漫画のほうが知られているだろうけれど、ともかく、「そのとおり」と首肯しつつ、ひとには黙っておこうという傾向の作品ばかりだ。この「著者に聞く」は、各ショート漫画のあいだに編集者と交わされるひとことで、同じ形式は『むーさん』(ただ、いろいろヤルだけの読者願望大満足漫画)にも採用されている。午前中に書いたブログの詩を読んで、かつての劇団員から、あんなふうに書くとヒステリックな役人から誤解されませんかと案ずる電話があった。(もちろん、ウソの帳面をつくったというくだりのことだ)あえて、詩にしたのは、metaphorでfictionであることを示したのだから、かまわねえと返事したが、文化庁から銭をもらってしのいでいたのは事実だ。査定というか、監査というか、調査員がやってきて、不正がナイかどうか調べたのも事実だ。このとき(と書くと物語的になるが、ほんとは御国から銭をもらうようになってからだ)私のいだいた心情は、屈辱とはまた違った、ワケのワカラナイ、奇妙な、矛盾した、静かな錯乱、に近かった。それは単に自分たちの演劇の経済的疲弊に対する負け戦のせいだと当時は思考を処理していたが、いまは、そうではナイことがいえる。基より自分が演劇みたいなものを始めたのは、そこで生きていくしかしょうがナイと判断したためだが、けして消極的な逃避ではなかった。いわゆる積極的逃避(川島雄三)だ。では、何故、そんな観念的地点まで積極的に逃避しなければならなかったのかと、当時を思い起こせば、そこが「権力」から最も遠い場所であると、無意識に推測したというしたナイ。と同時に、そのようなヤクザな環境が、自らの個人的な生き方としては適していると、自堕落な生活を肯定したからに他ならない。そのときにココロに留め置いたのは「人生、棒に振ろう」ではなく、「人生から棒のように振られよう」だったと記憶している。図らずも、58年の私はそのようになってしまった。だから、別に何の悔いもナイ。ただ、演劇というものが集団の事象であることによって、他人の人生まで巻き込んでしまったのではナイかという強い加害者意識はいまも残るし、鬱病にときは、それが自責の念となって苦しめられる。ちがえていえば、私には、個々の生き方を左右する権利など何もなかったのだから。・・・さて、御国から銭をもらうようになってから、私には、私の生き方や劇団や小屋が孕んでいたillusionがみんな吹っ飛んで、引っくり返されたような気がした。というより、自分たちの生きざまの支えがなんであったのかが、鮮明にみえたといったほうがイイ。私たちのような「人生から棒のように振られた」者にも、生きる場所があるのだ。それはそれで個々の生きざまで、劇場というものは、それらのillusionを背景に持つ象徴ともいえなくはナイ。「銭を出します。どういう作品を創りますか、テーマ、主旨、活動記録はナンですか。終了時には報告を。ああそれと、審査があります・・・」そういうふうに生きてきたんじゃねえんだよなあ。
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