ビンボ暇ナシ
三日つづけて、名古屋、吹田、伊丹と駆け回り、明日はまた伊丹だ。仕事だから、べつに文句はないが、カラダのほうは、モンクをいう。この暑さで、Tシャツの着替えを準備してはいたが、どうせ着替えても、また汗だくだろうと、そのままで、帰ってから風呂につかって、ビールを飲むというご褒美だけが、ありがたい。体調の管理といっても、ともかく食えれば食うというだけで、たとえば、昨日の昼のメニューは、ローストビーフ5枚、春雨サラダ、厚焼き玉子。しめて850円程度。夜は鯖の塩焼き、ペンネと小エビのサラダ、根菜の梅酢あえ、しめて700円程度。アイホールの近所のスーパーには惣菜屋さんがあるので助かる。体重は、引っ越してから一度も計っていない。熱は、これだけ暑いと微熱が出るので、7度ちょっとはしょうがないが、血圧は正常値だ。現在の室温は30度だが、これでも、涼しいくらいにカラダが慣れてしまった。・・・アイホールの館長山口から、例の裸の女王さまの一人芝居打ち上げのようすをちょっとだけ聞く。演出助手についていた関西屈指の若手女性作家の、諫めのコトバの切れ味がイイ。裸の女王に面と向かって「あなたはfeminismだの男権社会だのと、うるさくいうが、あなたこそ、もっとも、その男性のお世話になってきたのではないんですか」だ。小堀氏もかなり裸の女王を諭したらしいが、裸の女王は「くやしい」といってたそうで、こら、アカンわでしかナイ。ちなみに、目上のひとに意見するときは「諫める」で、逆の場合は「諭す」だ。こんなことを知らないでいる大学准教授もいるくらいだからな。昨日の塾は、「位相・順序・代数」の拡張として「場面・転換・比喩」と、「部分と全体」について当方の考えを話す。我が私塾は世界レベルなので、難しいのだが、池上彰がどこにでもいるワケではナイ。ワカラナイことを考えることが、塾生の課題だ。だから、私も「教える」のではなく常に「考えを述べる」という姿勢でいる。ひとはひとによって自分の世界を狭くすることはナイ。世界を狭くするのは、常に自分自身による。帰りの電車は事故のせいでダイヤが乱れていたが、ホームに立ちながら、ヘーゲルからフッサールとマルクスへの分岐(現象学と疎外への分岐)と、「書かれた劇」と「演じられた劇」のことの論理を整理して考えていた。明日のマスターコースのレクチャーの準備だ。なんとなく筋道がつけられたので、はい、おつかれさまで、ございます。
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