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2010年8月30日 (月)

いまさら、ナンですが(改稿)

24時間テレビ『愛は地球を救う』は、今年もあって、ともかく24時間やってるから(それを母親が観ているので)どうしても目に飛び込んできて、さらに母親の「さっきはな、手のナイひとや。今度は目がみえへんひとや」と、野次馬解説が入って、それはもう、障碍者のオンパレードで、私はちょうど、フィギアスケートのシーンと、『ジュピター』の演奏合唱シーンを観たが、「身体」の表現について、一応論理づけはしてみたことはあるが(このブログに収録)、まだまだ未熟な答しか出せていないという後ろめたさから、どうも、この番組は、毎年、隔靴掻痒の思いがする。たしかにこの番組は、問題提起はしていると思う。まず「愛でほんとうに地球は救えるのか」という、番組の意図とまったくの反面教師的な存在になり得ること。ビンや缶に詰めた貨幣で、「良いことをしている」という子どもたちは、やがては、あれは、ほんとうにそうだったのだろうか、というギモンをもたせるだろう、ということ。とはいえ、世界には、どうしようもなく、生まれながらにか、事故、病気でか、何の罪もナイのにハンディを背負った人々が大勢いるということを知る、機会にはなるということ。また、この番組に、日本の宗教界がどうしてナニもしないのかという、素朴なギモンを持つだろうということ。「愛」とは何かという、根本的な問いかけの出発にはなるだろうということ。出演するタレント、俳優、芸人たちに対して、アナウンサーが、何故、「~くださいます」「~いただきます」と敬語を使うのだろうかという、微妙な気分の悪さを感じるということ。しかし、とにもかくにも、最もそうであろうと思われる重要なことは、視聴者が多かれ少なかれ「ああ、私は五体満足でよかった」と安堵している(のではないかと、私は穿って、そんな妄想をもつのだが)ことではないのか。これは、視聴者の側に、何か宿痾があったとしても、その程度を尺にとって、「私なんかまだマシなほうだな」と、深息していることではナイのか。・・・私、申し上げる。名古屋における40年の経験値。「ひとを助けるひとになるよりも、ひとが助けてくれるひとになるほうがタイセツです」

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