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2010年8月18日 (水)

perspective

さて、「先のことはワカラナイ」ということだけはワカルとして、も、誰だって、先行きの見通し(perspective)というものがたてたいのに、違いない。これは、うんと若い頃は「将来の夢」などというふうに称される。(私の未来とか、明日の私でもエエのだが)。名古屋での40年の輝かしい生活において、私は、二度、そういうものを自覚した。一度めは演劇というものを初めるに該って、どの辺を目標にするか。二度目は劇団を解消するに該って、どんなふうに無くしていくか。私が、perspectiveというものを持ったのは、その二回だけだ。アトは、いうなれば、成り行きだ。だから、数多の失敗を繰り返した。とはいえ、この失敗は、おそらく避け得ないもので、perspectiveなどあろうとなかろうと、関係なかったというのがほんとのとこだ。要するに成り行きではあるが、誰もやってくれないので、仕方なく自分がやるしかなかったというに過ぎないのと、そうして、おのれの力などでは、どうにもならないものというナンヤカンヤが存在するので、失敗こいたというところだ。・・・もちろん、微分(方程式)によって、衛星は飛んでいるのだから、先行きは科学によって、ある程度どころか、ニュートン力学の範囲でなら、予測はつくようになっている。量子力学においても、確率で、確率にみあった先行きの予測は出来る。だから、科学を信じているのかというと、そうではナイ。科学というのは、「信ずる」対象ではナイ。「認める」対象だ。ここを間違うと、科学信仰の「科学哲学」とか「幸福の科学」(並列するのはムチャだと承知で、皮肉をいってるのだ)なんてのがのさばるのだ。・・・先のことを思うのはたいていが妄想だし、現実にそうなってくれたとしても、たぶん思い描いていたものとはかなり違う現実がやってくるので、臨機応変、そうそう、これね、名古屋で40年、あちきがやってたこと。しかし、これすら、優柔不断になっちまうことがあるんだからなあ。ヤですねえ。もう。

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