おコトバではありますが・捕捉
付け加えておくならば、シリーズを始めるとき、私には、幾つかの不満があった。まず、ソシュールのいうラングというのは、そんなに悪いものなのか、逆にパロールというのは、そんなにいいものなのか、という素人考えと、同じように、形而上的なものがアカンのなら、戯曲みたいなもん書けへんでという、こちらは嘲笑に似たものだ。私の『寿歌』は、かなり評価を得た反面、毀誉褒貶でか、いわゆるリアリズム志向の劇作家、演劇関係者連中からは、酷評されたようだ。(詳しいことは知らん)。そこで、私は「演劇におけるリアリズム」という自分の考え方を示してみるしかなかった。さて、それが理解されたかどうかも、知らん。・・・ジャック・デリダ(バウアーではナイ)の「脱構築」という考え方は、オモシロイなと思った。しかし、この考えは、ハンカチョーでいうと、ヘーゲルが述べたカントの[仮象]概念と、それほどの差異はナイのではないか。また、フッサールの[還元]とも似たりよったりではないか。・・・私の作品に『血と青空』というのがあるが、このタイトルを聴音像として認識する場合、おそらくさまざまな「像」が生ずるはずだ。「血」「と」「青空」の聴音の意味になんの変化がなくとも、「像」が変化するのはどうしてなのか。この戯曲は、人々の新型ウイルスとの闘いを描いているものだが、タイトルから与えられる像解釈では、アクション劇とも、戦争劇とも、ミステリとも、家族系統の劇とも受け取ることが可能だ。私は、劇団を終えてから後に、『ヴァイアス~愛するものもまた死す』というミステリ劇を書いて、上演(avecビーズ)したが、これをミステリだと思ったひとは殆どいなかったようだ。何が弊害をもたらしているのかは知らないが(ほんとは知っているんだけど)、こと、演劇というのは、文学(小説・et cetera)などに比して、かなり遅れた文化だ。けったいな海外の学説がまかり通っているし、インテリの玩具になっているし、庶民大衆のレクレーションになっているし、世間知らずの演出家と、演技知らずの役者と、作文しか書けない(自称)劇作家が、大きな顔をして闊歩している領域だ。そこへまた、贔屓の観客が、ワッと集まって、およそ2年ももたずに去っていく。労働と、労働力のわからぬ拝金主義者が、ワケのワカランもんをやってもらうより、有効利用して、ショッピングモールをつくったほうがいいなどと、古今、哲学者を一人も輩出したことがナイという街で気勢をあげる。さて、私の次なる仕事は、かくなる拝金主義者どもに、可能性の鉄槌をくらわす「演劇は形而上的でいいじゃないか」というコトバの実践だ。てなことで、明日からまた、旅寝の空で(そういうふうにして、オツムを休息させている)しばし、ここも、開店休業となる。
« おコトバではありますが・14 | トップページ | new! 新着情報:オペラ 想稿・銀河鉄道の夜…(2010.0912終了) »
「数学」カテゴリの記事
- アト千と一夜の晩飯 第四十二夜 ゆんべ寝る前にベッドで (2023.01.09)
- 港町memory 57 (2019.11.12)
- 港町memory 56 (2019.11.10)
- おコトバではありますが・捕捉(2010.07.07)
- おコトバではありますが・14(2010.07.06)
「演劇」カテゴリの記事
- nostalgic narrative 52(2024.12.14)
- nostalgic narrative 35(2024.09.29)
- nostalgic narrative 31(2024.08.26)
- nostalgic narrative 29(2024.07.18)
- nostalgic narrative 8(2024.02.03)
「哲学」カテゴリの記事
- アト千と一夜の晩飯 第四十四夜 なんとかカントか(2023.01.18)
- joke(2021.07.15)
- 如是想解・47(2012.04.19)
- 向かえば虚構(2011.09.19)
- 無常に対する疑問・続(2011.09.15)
「表現とコトバ」カテゴリの記事
- 時世録・23(2023.07.04)
- Sophism sonnet・69,7-5(2022.01.19)
- Sophism sonnet・69,7-4(2022.01.13)
- 無学渡世・二一の追記(追鬼でもいい)(2021.05.20)
- 無学渡世・九(2021.02.13)
« おコトバではありますが・14 | トップページ | new! 新着情報:オペラ 想稿・銀河鉄道の夜…(2010.0912終了) »