二人芝居のごようす
書き手としても、たま~に、演技者(役者)をやるのは勉強になる。流山児との二人芝居(演出・小林七緒)の稽古が本格的に始まったが、あちら(流山児事務所)は年間8本もの芝居にプラスして、ワークショップやセミナーをこなしているので、忙しい中の時間を切り取ってのハードスケジュールだ。んが、こっちも、役者をやるのはずいぶんで、不安要素というのがある。とりあえず、体力というやつ。これは、東京の地下鉄(都営地下鉄と東京メトロは違うのだということを初めて知った。要するに、チケットの買い方で首をひねったワケだ)の乗り換えやら、ともかく、重いリュックを背負って歩かなければならないので(普段、そんなに歩くということがナイために)足腰が弱っていて、ついに四日目にして、乗り換えの駅で、歩けなくなり、ホームにへたり込んだ。これにはまいったが、稽古場に行ったら、そういうことは知らん顔しておいて、さて、この稽古だが、流山児のブログにもあるように、あちらは、ともかく台詞を入れねばならないということが、(なんでかワカランけど)プレッシャーらしく、ハナっから粗立ちの稽古なのだが、ハナっから、むちゃくちゃの台詞(おぼえてナイのに、ホンを離すから)が飛んでくる。(もちろん、これには、演出から、やさしいコトバでのyellow cardが出ましたが。具体的にいうと「ホン、持ってもいいんだから」ですね)そもそも、二人芝居というのは、相手が一人なもんだから、こっちの台詞でナイときは、相手の台詞、相手の台詞でナイときは、こっちの台詞と決まっている。もう少々いえば、こっちは相手に、相手はこっちに、台詞をうまくパス(あるいはトス)しなければならない。それを聞いて、こっちか、あっちか、台詞が出るのだからだ。そういうふうに、今回のホンも書かれている。ところで、流山児というのは役者としてはあんまり使いもんにならないほうで、なんでかというと、自己完結してしまうのだ。つまり、台詞をいったらいったきりなのだ。ボケでもツッコミでもナイ。ともかくも、流山児の流儀というのが、芝居というのは、表現というよりも、生きざまだということなので、それは、まあ、それで、別に私にはどうでもいいのだが、演出の七緒くんの、飴と鞭が、流山児を知り尽くしているというか、よく調教していて、このいったらいったきりを、いかに相手を通して、自分に戻り、また相手に向かわせるかというキャッチボールにしたてながら、流山児のある種の魅力(可愛さ、charming)をpasteさせていくのは、彼女を演出に頼んで、正解であった。私は、役作り(などというと、誤解されそうだが)、つまり、どんなふうな演じ方をすれば、楽しくやれるか、を捜しているだけで、台詞など、やってるうちに自然に出てくるだろう程度にしか考えていない。このチグハグな二人芝居の末路や如何に、とでもいったところで、なんとなく、今月の稽古最終日には、それなりの芝居にしてしまっているのだから、流山児も七緒も私もcareerというのは、あなどれないものだ。
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