映画感想『ディアドクター』
西川美和監督の唯一の欠点は、映画がいつも完成されているということだ。としか、この天才に文句がつけられないというのも、いやみといえばいやみなのだが、ただ、『ディアドクター』については、少々、音声の不備があったようだ。今回はDVD鑑賞だから、映画館で観れば、そういうことはナイのかも知れない。このひとの自然で精緻な台詞のいくつかが、私の観た条件下では、不明瞭だったことだけが残念なだけだ。映像の専門でもナイ私が指摘するのはおこがましいことは承知で、この作品についていうならば、同じ監督の他の作品では気がつかなかったのだが、実に正統なモンタージュが施されているということだ。モンタージュを映像の言語化だとか、編集の手段だとか、誤謬している若い監督もいる中で、この作品に何ヶ所もみられる、モンタージュは、感性として、文学的な感覚をかもしだしているもので、その直球ぶりに、それを「古い」とか「鼻につく」とかというふうに観た御仁もあるはずだが、私はただ、うめえなあぁっ、と感心するばかりだった。一例をあげると、物語の核心となるプロットで、ニセ医者である伊野(笑福亭鶴瓶)が自身の存在を賭けて嘘をつく、鳥飼かづ子(八千草薫)の病気に気づく、娘のりつ子(井川遥)のアイスクリームのシーンである。まず、帰郷している、りつ子が何気なく冷蔵庫からスティック・アイスを取り出すところから、すでに、観客はある予感を持たされるように、もう仕組まれているのだが(というか、この予感を与えるという技量がナイと、このプロットは成功しない)、冷蔵庫の横のごみ箱から、胃潰瘍のために処方された薬品の空ゴミを発見してしまう。りつ子は医者である。このとき、異変を覚ったりつ子は、すぐ傍のシンクタンクにアイスを捨てる。ここで、ふつう(凡庸といってもイイ)ならば、その薬品の空ゴミに驚くりつ子の表情で、シーンは終わる。ところが、西川監督は、捨てられたアイスが溶けていくというモンタージュ技法によって、りつ子の心情を描写してしまうのだ。このようなモンタージュ技法は、この作品に多くみられた。『蛇いちこ』では、マンガのコマ割りのように軽快だった心地よさは、ここで、丹念に創り込まれた丁寧さによる心地よさとなる。付け足せば、柳沢克己の撮影の、なんと美しかったことか。西川監督には、次作では、ぜひ、時代劇を。
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