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2010年6月 5日 (土)

バリアフリー

さて、朝っぱらからだが、勢いをつけるために「批判」というのをやってみる。タイトルを「バリアフリー」としたのは私なりにcategory error(学問の越境というふうに用いられている)をいい換えたもので、べつに、category anarchismでも構わない。8月に精華小劇場で予定されている、深津篤史・演出の『浮標(ブイ)』(三好十郎・作)の最終日、8日(日)のアフタートーク・ゲストに呼ばれたので、ちょっと学習しておこうと、そのバリアフリーをしていたら、『心に青雲』というサイトにぶつかった。主筆の名前が書いていないので、誰だかワカンナイのだが、師匠は南郷継正とあるので、空手家で、かつ唯物弁証法を学んだひとであることはマチガイナイ。で、『吉本隆明氏のプライドを失った近況』と題して、論点は、次のごとくだ。

吉本さんも82歳か…。しかし、それにしても「腰を90度に曲げて」つえをつき、歩く練習というより静止しているように見える歩行とは、無残と言うか何というか…。プライドのかけらもなくなったか」「彼の思想は学問とは異なって後世には残るまい。吉本氏の『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』『心的現象論』は後世に残るとは思えない」「親鸞論にしても、親鸞と浄土真宗の悪業というか負の部分はみないで、まるで漫画「キャンディキャンディ」の「いいとこ探し」」

この一つひとつを丁寧に「批判」していたら、朝の仕事に差し支えるし、そういう義理はナイので(というか、みなひとことで片づくようなので)簡単にいう。このひとは、空手という武道と、生活という庶民の営みをを混同(というか混濁して)認識しているふしがある。「弁証法と認識論を踏まえた」と自身の論理を看板に掲げられているが、私にいわせれば、アヤシイもんだ、な。だ。あのな、空手家が修行に耐えるごとく、庶民大衆も、その生活に「耐えて」いるのだ。威張るワケではナイが私も宿痾に耐えている。この宿痾は年間3万人の自殺者を出すものだ。それと同様に、生活者は、老齢というものに「耐えて」いるのだ。さらに、「腰を90度に曲げて杖をついているもの」が、その姿に無関係に、何がしかの武道の達人の域にある者だという、そういうことも考えられないではナイ。単に見栄えだけから技量を判断するということは、武道家として(認識論なんかどうでもイイが)の「油断」ではナイのか。・・・吉本さんの思想が学問ではナイというのは、categoryの問題だから踏み込まないが、たぶん、このひとは『ハイ・イメージ論』あたりで、躓いている輩だろう。たいていの吉本エピゴーネンは、ここらあたりで、吉本思想と決別しているようだから。私はEpigonen(よくいえば優等生、悪くいえば亜流)ではなく、劣等生の半可通だから、決別もへったくれもナイ。・・・親鸞について私にワカルのは、現在布教されている浄土真宗宗派とは、思想的には何の関係もナイということくらいだ。もし、その残骸があるとすれば、祖先供養と結びついて庶民宗教として残っているという、ありふれた宗教の形態くらいだ。・・・結びにひとついっておくが、私も南郷継正氏の武道理論からは多くを学ばせてもらった。それらを私は、私なりに演劇という分野で展開している。

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